2023年05月07日

私の初体験 〜文楽

初めて文楽を観たのは20年近く前、志の輔師匠の会でした。
その時は八百屋お七の話と猫忠をやったと思います。
猫忠は普通に落語をやってて、猫の告白の時突然文楽になって
兄妹の猫が舞台を駆け回り志の輔師匠が浄瑠璃調で
猫の告白を語りだす、という趣向でした。
それを観てハマった、というわけでもなく、
2年販前に大阪に行きだした時、そこがたまたま文楽劇場の近くで、
そんなに高くないしいつでも空いてるのでちょっと行ってみようか
と思っただけなんです。

大阪で一番最初に観たのが「源平布引滝」(げんぺいぬのびきのたき)
振袖のまま琵琶湖に飛び込んで泳いで船を追いかけるとか、
あり得へん〜〜と思いつつも人形の動きや浄瑠璃の語りに引き込まれて、
今じゃすっかり文楽にハマってます。
(ちなみに琵琶湖は淡水なので海水のように体が浮かず泳ぐと危険なんです)

歌舞伎と共通する話もあり、落語のネタ元もあって色々楽しめます。
先ほどの猫忠の元になった義経千本桜とか忠臣蔵とか
落語を知ってたからこそより楽しめるというのもあり。
蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)という話は
殺されかかった狐を助けた男のもとに女に化けた狐が現れ
夫婦になって子供を授かるが(その子は長じて安倍晴明となる)
正体がばれてもうここにはいられないと句を書き残して去っていく。
その句がこれなんですが
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
落語の安兵衛狐、上方のオチがこれなんですよ!
大阪では文楽が文化として浸透してるんだなあと思いました。

だけど大阪で知り合った友達はほとんど観たことないと言ってましたけど。。
【日記の最新記事】
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2023年04月30日

うすいえんどう

関西では今の時期、えんどう豆の一種のうすいえんどうがたくさん売られています。
えんどう豆は、さやごと食べるさやえんどうと実を食べる実えんどうに大別され、
うすいえんどうは実えんどうの一種。
関東ではグリーンピースとして親しまれています。
なので、グリーンピース=うすいえんどうだと思っていたら、
実は別物だということが判明!

明治時代にアメリカから入ってきた実えんどうがグリーンピース、
それを改良し大阪府羽曳野市碓井で栽培されたのがうすいえんどう。
つまり「碓井えんどう」なんですね。
違いは、うすいえんどうの方が
 実が大きい
 上品で繊細な甘み
 ほくほくとした食感
 グリーンピースと比べて皮が薄く青臭さも少ない
 色は少し黄緑に近い色合い
 今の時期しか手に入らない。
なので豆ごはんにピッタリで、関西ではしょっちゅう豆ごはん作ります。
でも関東ではほとんど、というか全く見かけない。

この話を大阪の友人にしたらみな一様にびっくりして、
「え〜っ!!じゃあ、豆ごはんはどうやって作るの?」
と言うので、豆ごはんなんて作らないよ、と答えたら
もっと「ええ〜〜っ!!!」と絶句してました。
当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったというのは
これだけ情報が発達した今でもあることなんですね。

ちなみにうすいえんどうは、今はほとんど和歌山で栽培されています。
生産量は全国の実えんどうの何と半分以上、2位鹿児島の4倍です。
また、150年ほど前チェコの生物学者メンデルは
えんどう豆を研究して遺伝の法則を発見しました。
英語では、えんどうのような丸い豆は"bean"ではなく"pea"と総称され、
単に"pea"といった場合は、えんどうのことを意味します。
なので、緑の丸いえんどう豆で「greenpeas」なんですね。
以上、ちょっとした「豆」知識でした。
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2023年04月23日

私の初体験 〜札幌ラーメン

4歳上の姉が東京の大学に行っていたので、高校生の頃遊びに行ったことがあります。
その時、食べさせてもらったのが札幌ラーメン。
生まれも育ちも福岡なので、ラーメンといえば博多ラーメンしか知らなかったので
初めて食べた時は衝撃でした。

食べたのは「塩バターラーメン」でしたが、
麺が太い!
量が多い!
コーンが載っている!
バターも載っている!
なにしろ食べ盛りの高校生だったので、
こんな美味しいものがこの世にあったなんて!と超感激。
そして行く先々にこの札幌ラーメンのチェーン店があったように思います。
今は札幌ラーメンて、ほとんど見かけなくなってしまいましたね。
もう飽きられてしまったのでしょうか。
またあの塩バターラーメンを食べてみたい気がします。
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2023年04月16日

私の初体験 〜河内音頭

三味線をやることになった、と先週書きましたが
大阪で、三味線教えてくれる所ないかなと友達に話したら
いいとこありまっせ〜と紹介してくれたのが、河内音頭の会。

全く何も知らず、もちろん三味線もろくに弾けず、とりあえず練習会に行ってみた。
真ん中に歌う人(音頭取りさんという)その向こうにエレキギターと太鼓。
エレキギター??
この時点ですでにナゾ。。
先輩の三味線の人にいろいろ聞きながら何となく調子を合わせる。
一曲終わったら歌の人は太鼓の所へ行き、今度はギター弾いてた人が歌い出す。
さらにナゾ。。
そして、演奏してた人達が次々入れ代わりで歌い出す。
そして長々やってわかったのは、マクラとネタがあるということ。
マクラの部分は自己紹介で「私はこれこれこういうもんです」と節にのせて歌い、
ネタの部分は清水の次郎長とか、無法松の一生とかの話をこれまた節に乗せ
いろんな登場人物を、かみしも振って歌い分ける。
これって浪曲?落語?

河内音頭とは、大阪の河内地方で歌い継がれてきた民謡ですが
決まった楽譜や歌詞を持たず、浪曲や他の民謡と融合して、
音頭取りさん(歌う人)が歌い上げる非常にユニークな芸能です。
いわゆる「正調」がないんですね。
なのでエレキギターやシンセサイザーなどとも一緒に演奏される。
ネタの部分は即興で時事ネタなどを歌いあげたりするそうです。
そしてお囃子、踊り手、すべてを引っ張っていくのが音頭取りさん。
「音頭を取る」というのはここから来ているそうです。
(しかし20代の4人に1人は意味を知らないそうだ)
さらに言えば銀行の代表者頭取の語源もこれ。

東京でも、阿波踊りやよさこいソーランなど地方の盆踊りが盛り上がっていますが
次に来るのは河内音頭じゃないかと密かに思ったり。
なお、錦糸町では毎年イベントをやっているそうです。
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2023年04月09日

私の初体験 〜三味線

これまでは昔の話だったんですが、実は最近三味線を始めたということでご報告。
今月29日に百栄師匠の会があるのですが、そこで出囃子を弾くことになりまして、
ただいま練習中です。
楽器は持ってなかったが、三味線始めるという話を吹聴していたら、
皮が破れて使ってない楽器があるからあげるという人が現れ
修理して使うことになりました。

ベースは50年くらい、チェロももう10年くらい弾いてるので、
フレットのない弦楽器は何とか弾けるんじゃないかとタカくくってやり始めたものの、
バチで弦を当てる場所が定まらない。
空振りスカということもしばしばで、西洋楽器と全く勝手が違う。
しかも左手の指はほとんど人差し指と中指しか使わない。
弦がゆるみやすく音程がすぐ狂う。
一番びっくりしたことは、歌の伴奏だから、
歌う人の声の高さによってチューニングを変えるんですよ。
西洋弦楽器は左手の指使いを変えるので、歌う人のキーが変わると大変なんだが、
三味線はどんなにキーが変わっても同じ曲は同じ指使いなんですね。
もしかしたらものすごく合理的なのかもしれない。

そして、棹が非常に長い。
胴体が短いというべきなのかもしれないが、
西洋弦楽器の場合一本の弦の音域が、開放弦から胴体の付け根まで(よく使う部分)
だいたい1オクターブなんですが三味線は2オクターブある。
だから「だいたいこの辺」という感覚が全く違う。

29日までにちゃんと弾けるようになるのかはなはだ心もとない状況ですが
頑張って練習します。
ちなみに太鼓は夫がやります。
なかなかに上手なのでこちらはご期待ください。
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2023年04月02日

オマケのオマケ 〜楽器別性格判断

よくバンドの中で話題になるのが楽器別の性格の違いです。
トランペットの人は明るく派手好きとか、サックスはむっつりスケベとか、
トロンボーンはバランスよく人間関係が良好とか、
これは、こういう楽器の人はこういう性格だ、というより、
その楽器に遭った性格の人がずっと続けられるということではないか、
血液型よりよっぽどマトを得てるんじゃないかと私は思っています。

最初楽器をやり始めるとき、特に学校の吹奏楽など
性格に合った楽器を選べるなどまずありません。
たとえばトランペットは派手な楽器で、成功しても失敗してもとにかく目立つので
地味な性格の人は途中でめげてやめてしまうでしょう。
反対にトロンボーンは音が馴染みやすくアンサンブルが楽しい楽器ですが
地味なので目立ちたい人は不満だと思います。
サックスがむっつりスケベというのは出所不明ですが
他の管楽器に比べてキーが多く部品も多いので
黙々と細かい所にこだわる人が多いからかもしれません。

さて、私のやっている楽器はベースと言われるだけあって
音楽の根本の部分を担当しています。
派手ではないがアンサンブルの根本を担う大事なポジションで、
ジャズの場合はベースさえいたら、ドラムやピアノがなくてもいいくらいで、
大局的に判断できる人が多いような気がします。
私も自分で選んだ楽器ではなかったのですが
他の楽器だったらとっくにやめていたかもしれません。
楽器が続かない人は、まだ自分の性格に合った楽器に出会ってないのかもしれませんね。
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2023年03月26日

私の初体験 〜吉野

何度も登場してます、大学の友人「山口小夜子」は
実は京都の人ではなく奈良の吉野の人でした。
実家の吉野の家に何度も遊びに行きましたが、実に色々と衝撃でした。

まず、遠い。
京都駅から近鉄奈良線、樫原神宮前で乗り換えて吉野の山奥まで。
特急でも2時間以上かかる。
駅から家まで、一本道だけど、左手に家、そのすぐ向こうが山、
そして右手が崖、その下が吉野川。
それがずっと続く。
台所では塩ビのパイプから常時水が流れている。
家のすぐ脇が山で、その山から湧き水を引いてるのね。
風呂は五右衛門風呂で、浴室で椎茸を栽培してる。
もちろん薪。
焼きナスは風呂釜にナスを突っ込むというワイルドなもので、
彼女が京都で下宿した時は「風呂がないから焼きナス作れへん」と言ってました。
鮎や熊(ぼたん鍋)を初めて食べたのもここです。

天の香久山や石舞台などいにしえの遺跡がそこらじゅうにあって
子供の時から吉野川が遊び場だった等
教科書に載ってるような所で生まれ育ったとか
なんかもう想像の範疇超えてます。
思わず「すごいねえ。」と言ったら「何も普通やで、」とアッサリ。
ここら辺の人がみな古代史研究家なわけあらへん、と言われて、
まあそりゃそうだけどさ、と思いましたが。

大学のゼミで吉野神宮に行ったことがあり、
宮司さんから「浄瑠璃の妹山背山はそことそこ、」と言われたものの
当時そういうことをなーんも知らんかった私はただふ〜ん、と思っただけでした。
来月文楽でその妹背山女庭訓をやるということで
ぜひ観に行って50年前の恥をそそぎたいと思っています。
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2023年03月19日

私の初体験 〜京ことば

関西弁というのはテレビの漫才とかで聴いていたので
そんなに違和感はなかったです。
ただ、いくつかびっくりした言葉がある。
「あなた」という意味で「自分」というのです。
「あなたはどこに住んでるの?」という意味で「自分どこに住んどんのや?」
という。
でも面と向かって言われるのなら、ああそういう言い方なんだなあとわかる。
しかし大学のホールの他に誰もいない状況で反対方向の遠い所から
先輩が「お〜い、じぶ〜〜ん!」と大声で呼ばれた時には
いったい何を言われてるのか全くわからずきょろきょろ。
もしかして誰かを呼んでる?私??とぼーっとしてたら、
先輩が「自分や、自分、」と言って私の所にやって来た。
あの時はほんとにびっくりしましたよ。

それから、ベースを弾くきっかけになった山口小夜子似の友人、
めでたくお友達になれたので嬉しくて、
「今度下宿に遊びに来て。」というと、「いやおおきに。」と言う。
なので、「いつ来るの?来週?」とかたたみかけても「いやおおきに」しか言わない。
あれは「thank you」じゃなくて「no thank you」という意味だと知ったのは
だいぶたってからのことでした。
なにせ私、直球の福岡人ですので。。

ちなみに小夜子は私が血マメでひいひい言ってる間にさっさとクラブを辞めてしまい
一緒にジャズをやるという夢はもろくも消えてしまいました。
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2023年03月12日

私の初体験 〜ウッドベースその2

さて、勢いでジャズのベースをやり始めたものの
全くの初心者で何もわからない状態だったので、先輩に1から教えてもらいました。
ジャズではでかいベースの太い弦を、弓ではなく指ではじくのですが、
ちょっと弾いただけでマメができる。

「先輩、マメができたんですけど。」
「弾いてりゃなおる」
でそのまま弾いてるとそれが血マメになる。
「先輩、血マメができたんですけど」
「弾いてりゃなおる」
でそのまま弾いてるとマメが破れて痛い。
「先輩、マメが破れて痛いんですけど」
「弾いてりゃなおる」
で楽器を血だらけにしながらヒイヒイ泣きながら弾いておりました。
でもなぜこの時、もうやめたと思わなかったのか不思議です。
痛い以上に楽しかったとか、それは全くない。
ただひたすら痛かった。

でなんだかんだ一か月くらいやってると指ができてくる。
ずっと弾いても大丈夫になってきました。
まあ確かに弾いてりゃなおってきたわけなんだが、
今から思えば立派なハラスメントだよね、これ。
そうこうしているうちに夏休みになり、一か月くらい実家の福岡に帰りました。
もちろんその間全く楽器に触ってない。
で、夏休み明けに学校へ戻って楽器弾くと、何と指がもとに戻ってて
血マメからの再出発!
ひいい〜〜!
それ以来一週間以上実家に帰ることはなくなりました。
今でも長期に楽器弾かずにいると指が戻ってマメができます。
なのでできるだけ弾き続けています。

ちなみに私が弾いているのはエレキベースではなく大きなアコースティックベースで
クラシックではコントラバスとかコンバスとか、吹奏楽では弦バスとか箱ベとか
ジャズではウッドベースと言いますが、全部同じ楽器です。
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2023年03月05日

私の初体験 〜ウッドベース

先週クラシックのコントラバスについて書いたので
今週はその原点、ジャズのウッドベースについて書いてみます。

高校まで福岡で、大学で京都へ行きました。
教育熱心な母親のおかげで兄も姉も東京の大学へ行ったので当然私もと思ったが、
「帰省の切符を買うのが大変なので東京はダメ、できれば地元。」
というナゾな反対を受けて、そんなら京都!と押し切ったわけなんですが
その当時すでに家は火の車だったようで、「できれば地元」が母親の本音でした。
火の車の中、京都に行かせてくれた親には感謝しています。
もっとも50年前は新幹線もなく、盆と正月は皆一斉に帰省するので
切符を買うのに徹夜で並ばなければならずホントに大変だったのは事実です。

さて福岡から東京の大学へ行く人はまあまあいたんですが、
関西はほんと少なかったです。
当然、友達がいない。
寂しいなあと思ってた頃、山口小夜子みたいな(古っ)素敵な同級生が
楽譜持ってキャンパスを闊歩してて、かっけ〜!と感動。
お友達になりたくて話しかけてみると、
「ウチ、ジャズピアノやってんねん。」
ますます、かっけ〜〜!!
「バンドやりたいんやけどベースがいてへんねん。」
それで思わず、「私やるわ!」と宣言。
軽音学部に入ってジャズのウッドベースを弾くことになりました。
あの時彼女が「ドラムがいてへんねん。」と言ってたらきっとドラムやってたと思う。

続く
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2023年02月26日

私の初体験 〜オーケストラ

初体験シリーズでは昔のことばかり書いてきましたが、
年とっても初体験はあるものです。

大学に入ってジャズのベースを弾き始めた時、
(これも初体験だったので、そのうちに書こうと思います)
まるで弾けないので習いに行きました。
ジャズベースの教室に行ったのに、楽器の基本はクラシックだからと
弓で音階や基礎練習ばかり。
まあおかげで弓でのクラシックの弾き方はかなりできるようになったと思います。
思っただけなんですが。

で、父親の影響でベートーベンが好きだったのもあり。
50歳過ぎてから突然オーケストラで弾きたい!と思ったんです。
まー私って、なんでもなめてかかるというか、
こんだけ弾けてんだからおっけーじゃね?みたいなノリ。
それで通える場所、時間帯でメンバー募集してるアマチュアオーケストラを
ネットで探して申し込み、参加することになったのが、
今でも続けている文京区民オーケストラです。

弓の奏法もマスターしてるし楽譜も読めるし、と思っていざやってみたら、
「カウント」がなくていきなり始まるから一拍の長さがわからない、
しかも長さが変わる、しかも一拍の基準の音符も変わる、
休みが多いので数えてないと次入れない、
(ジャズはずーっと弾いてるので拍を数える習慣がなかった)
しかも楽譜に書いてない「暗黙の了解」的なものがある、等々。

はっきり言って、茫然自失。
なんですかこれ?!

ただ、初めて練習に参加した時、弦楽器の50人くらいの音が
皮膚から伝わってきたのはものすごい感動でした。
あんなに音に感動したのは初めてかも。
アマチュアの練習の、体育館のような場所だったんですが。
それにハマって今でも続けていますが、あの時の感動は、もうないです。
まあ新婚の初々しさはなくなったが、お互い長く寄り添って
それなりにいい関係になってきたみたいなものかもしれませんね。
11月19日午後に池袋の芸術劇場で30周年のコンサートがありますので
よろしければぜひお越しください。
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2023年02月19日

私の初体験 〜ピザ

「新世代」というタイトルで書き始めましたが、
私が初めて体験したときの感想を書くという趣旨なので
ちょっと違うなあということで変えました。

高校生二年の修学旅行で東京に行った時、
自由時間に東京在住の兄がピザ屋さんに連れていってくれました。
六本木のニコラスです。
広いオシャレな店内に、これまで見たことないピザという食べ物。
あんまり味の記憶はないがたぶん美味しかったんだと思う。
ジンジャーエールを初めて飲んだのもこの時。
とにかく福岡では見たこともないようなお店で、ひたすらすごか〜と思ってました。
飯倉交差点の近くで、高速道路が頭上を走ってて、
信号機にかかっている「飯倉」という表示を見た時
福岡にも飯倉があるけど全然違うなあと思ったことははっきり覚えています。
ほんとにつまんないことばかりよく覚えているものですね。

ところで六本木のニコラスはもう閉店したそうです。
やってるうちに一度再訪してみたかったが
この話を書くまでほとんど思い出したことがなかったから仕方ないか。
ニコラス自体は新橋にあるみたいなので今度行ってみようかしら。

なお、あの時の修学旅行は国語の先生の主導で、
島崎藤村の舞台を訪ねてという企画でメインは馬籠、妻籠。
ひたすらつまんなかったです。
覚えているのはニコラスのピザだけ。
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2023年02月12日

新世代 〜その5 フランスパン

私には4つ上の姉がいて、高校はバス通学でした。
そのバス停の前にパン屋ができたと買ってきてくれたのがフランスパン。
当時ベーカリー、つまり焼き立てパンを売る専門店などなかった時代、
小学校6年か中学1年のころだと思います。
生まれて初めて食べたフランスパンは硬かった。
中身のフワフワした所は美味しいと思ったが、
姉は外のカリカリした所が美味しいといって
さすが姉ちゃんは大人だなあと思った記憶があります。

そのパン屋の名は「スベンスカ」
1969年創業ということなので、ほんとに創業すぐだったんですね。
そこはカフェもやっていて、これも姉に連れてってもらって
ホットチョコレートなるものを飲ませてもらいました。
あれ?ココア?でも濃厚で家で飲むココアとは全く違うなあというのが思い出。
当時の場所にはもうありませんが、スベンスカは今でも福岡の街にあります。

調べてみてわかったのが、創業したのは何と千鳥饅頭の千鳥屋だった!
東京各地にある手土産用和菓子屋「千鳥屋」ですが発祥は福岡で、
創業者の息子4人がそれぞれ頑張って東京や大阪に進出したり、
パンのスベンスカや洋菓子の「エルベ」(これも福岡では有名)を創業したり
大発展した模様です。
ただ、遺産相続で裁判沙汰になったり、スベンスカが独立したり、
東京店は経営に失敗して人手に渡ったりと色々と大変な模様。
やはり事業というものは大変なんですね。

ちなみに、今では私もフランスパンのカリカリの外側が大好きです。
やっと大人になりました。
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2023年02月05日

新世代 〜その4 家電

小学校2年の時に新築の家に引っ越しし、それ以後家電が続々やってきました。
一度に来たわけではないと思うが、色々なものが初めての体験です。
洗濯機は単に攪拌するだけのもので、絞るためのローラーが横についてました。
掃除機が来た時は姉と一緒に折り鶴を吸い込ませて、
ゴミの袋の所に吸い込まれているのを見て、すごいとはしゃいでました。
「アイスクリーム製造機」が来たのは冷蔵庫と同時だったか後だったか、
スイッチを入れるとボウルの中の羽がゆっくり回るしかけで
半日ほどで美味しいアイスクリームになるという話だったが、
当時、1ドアで上部に製氷コーナーがあるというだけのものだったので
(しかもコードが冷蔵庫の外に出ていたので)
いつまでたっても固まらないでスムージーの出来そこないみたいで
1、2回使っただけでお蔵入りだったなあ。

家の近所の電気屋さんと馴染みになって、なんでもかんでもバンバン買ってたようで、
「家の鍵を渡してあるから、いない間に持ってきて取り付けてもらえる。」
と、今では考えられないようなことをやってました。
これでわかるように、母親はかなり浪費家だったように思う。
浪費家というか、景気がよくなって、特に建築業なので一気にお金が入り出して
入ったから使えるじゃん、みたいな感覚だったと思います。

そげんことばしよるけん10年で破産ばなったったい、かーちゃん!
戦後すぐ18で結婚してすぐ子供ができて子育てばっかりだったから、
世の中の事も経済のことも全く知らなかったんでしょうけどねえ。
60年前に戻って、母親にしっかり貯金しとけと言ってやりたいです。
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2023年01月29日

新世代 〜その3 鉄筋コンクリートの家

私が小学2年の時、父が家を建てて木造二間の借家から引っ越ししました。
設計士だったので気合入って何と鉄筋コンクリートですよ。
今から60年前の福岡の郊外、原っぱの中にポツポツと家が建ち始めている、
その中に忽然と現れた鉄筋コンクリートの家、しかも何とT字型。
1階に玄関と階段、階段の下に風呂場、踊り場にトイレ、
2階は階段上がった左右に台所やらリビングやら個室やら。
つまりは、毎回必ず階段を昇降しなければならない。
これがアパートの2階だったら、上がりっぱなしで用が済むが、
トイレや風呂のたびですよ。
しかも60年前の鉄筋コンクリートって質が悪く、
梅雨のたびに壁中結露し、黒カビ生えて押し入れなど使い物にならない。
とーちゃん、いったい何考えてんだ!
母親が激怒したことは言うまでもない。(ということを大人になって聞いた)
でも珍しかったので近所では有名で、友達に説明するのは楽でした。
その後会社がうまくいかなくなって、家を売ってアパートに越したんですが
しばらくして元の家を見に行ったら、T字の左右の開いている所に壁が作られてて
普通の箱型の家になってました。

さて最初の引っ越しにあたっては転校したんですが、
その時クラスのみんなに鉛筆1本ずつ配ったのを覚えています。
あの当時は年度途中で転校すると記念品を配る風習があったんですね。
ほんとに些細なことで時代の変化を感じます。
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2023年01月22日

新世代 その2 〜我が家に初めて来た家電

私が生まれたのは昭和30年(1955年)の福岡市です。
終戦直前福岡市は米軍の大規模な空襲を受け、中心部は壊滅状態、
それから10年、少しずつ復興しているという時代です。
道路はデコボコ、トイレはボットン、遊び場は空き地。
家は二間の借家で、電話や冷蔵庫などの家電などはもちろん全くない。
これは普通の家はみなそうでした。
電話は近所の「おきゅうと屋さん」に取り次いでもらって、
テレビは時々近所の裕福な家に友達と見にいってました。
そこで「ナショナルキッド」を見た記憶があります。

父親は復員後、設計事務所を開業しビルの設計などをやっていました。
景気が回復し始めて建築需要は多かったそうです。
なにせ焼け野が原でしたからね。
そして電気屋さんのビルを設計した時、何でも好きな家電を一つあげると言われ
父が貰ってきたものは、何とステレオですよ。
白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫が三種の神器と呼ばれていた頃
ウチはそのいずれもなかったのに、ステレオって。。
とーちゃん、いったい何考えてんだ!
母親が激怒したことは言うまでもない。(ということを大人になって聞いた)
でもそれで父はずっとベートーベンの交響曲を聞いていて
それが今の私のベートーベン好き、交響曲好きにつながり
オーケストラに入ってコントラバスを弾いているわけで
何がどうつながるかは神のみぞ知る、ですね。
そのステレオはラジオも聴けて、橋幸夫の「舞子はん」がよくかかってて、
なんで「さん」じゃなくて「はん」なの?と母に尋ねたたのを覚えています。
こういう細かいつまんないことをよく覚えているものですね。

ちなみに4つ年上の夫はここ巣鴨で生まれ育ったのですが
最初から道路は舗装でトイレは水洗、空き地などなく遊び場は公園だったそうで、
さすが東京だなあと感心しました。
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2023年01月15日

新世代 その1

去年、沼ハマの取材があったので、初めて番組を見てみました。
好きなものにハマって夢中になった若者を追いかけるという番組なんだが
いやあいろいろスゴイです、今の若者。
Z世代というらしいが、デジタルネイティブ、つまり
生まれた時からパソコンやスマホがあってそれが普通の存在、
その上の世代のように苦手意識など全くない、というもの。
そのうえ好きな事に熱中できる環境がある、
昔みたいにそんなものばっかりやってないで勉強しなさいという親は少ないみたい。
(いないわけじゃないとは思うが)

しかし考えてみたら昭和30年(1955年)生まれの私だって、
親は大正とか昭和初期の生まれで、その頃は九州には鉄道もなかったし、
私の子供のころは家に電話はなく、近所の商店で時々呼び出してもらったりしてました。
テレビも近所のうちに見にいった記憶があります。
電話、家電などは、私の子供の頃には普通の家にはないものだったんです。
その後車や高速道路、新幹線、パソコンなどが当たり前の世界になってきた。
私の親の世代からしたら、私だって十分新世代なんだと思います。

なので私は、生まれて初めて体験した、という記憶が色々とあるのです。
来週からそれを少しずつ書いていきたいと思います。
掃除機、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、フランスパン、ピザ、ジンジャーエール、等
たぶん今のZ世代よりも変化は大きいかもしれません。
生まれたのは「もはや戦後ではない」という頃、
高度成長、オイルショック等色々な時代の変化を体験してきました。
もうそろそろ記憶もあやしくなっているので備忘録にしたいと思います。
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2023年01月08日

左右問題、その後

新年のあいさつも今更な時期ですが、早々にメルマガ配信停止予告で申し訳ありません。
10月一杯まではこの形でやっていきますのでよろしくお願いいたします。

さて年末、夫や友人と飲んだ時、エスカレーターの左右問題の話題になりました。
私は利き手の右手でベルトに捕まったほうが安心ということで関西派を支持したが、
他の関東人は「利き手で荷物を持っているから捕まるのは反対の手」
「利き手はむしろとっさの時のために空けておきたい」
など、左手で捕まる方が合理的という主張を譲らない。
いや絶対慣れてるからだけでしょ、と思うものの、慣れというのは侮れない。
エスカレーターの片側を無意味に空けるのはもうたいがいにしてほしい、とか、
マスクもそろそろいいんじゃね?とか、言うだけなら簡単ですけどね。

ちなみに私は4回ワクチン打って2回感染しました。
完璧です!
知らんけど。
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2022年12月25日

ご近所情報 ときわ食堂

巣鴨で行列といえば、やはりここが一番でしょう。
地蔵通り商店街で独り勝ちと言って過言ではありません。
巣鴨に3店舗ありますが、いずれも昼食時、夕食時には行列です。

浅草で隆盛を誇っていた料亭「常盤華壇」の食堂部門「ときわ食堂総本店」の
第5支店として墨田区業平に牧権(まきごん)という人が創業したのが始まり。
戦後浅草に店を移し、二代目の時独立支援制度を拡充させた結果、
巣鴨を始め、十条、谷中、馬喰町など18店にもなりました。
これは支店というよりのれん分けで、それぞれが独立した店舗なので、
ファミレスと異なり、店ごとにメニューや味付け、値段が異なっています。

そして一大発展したのが巣鴨店。
その第一号がスタジオのすぐ近くの庚申塚店。
本店は地蔵通りの店舗になっていますが、社名は「株式会社こうしんづか」です。
他に店は駅前店、大塚店、駒込店、大山店と計6店舗。
なお、これらはのれん分けではなく巣鴨ときわ食堂の支店なので
メニューや値段は同じです。

大きなエビフライやアジフライが名物ですが、
ここのすごいのは「ミニ盛り」が実に充実していること。
マグロ刺し4カン330円、唐揚げ2個200円、トマト半分200円、冷ややっこ120円、等々。
そして酒が安い。
ビール大瓶で450円、日本酒大(たぶん2合くらい)480円、他もだいたい400円台。
するとどうなるかというと、昼飲みどころか朝から一人で飲むオッサンのたまり場に。
朝11時くらいにはすでにあちこちのテーブルの上に日本酒やチューハイが。
この11時という時間はいったい午前なのか午後なのかクラクラしてしまいます。

年末は29日16時まで、年始は1月3日で本店は9時から、他店舗は10時からです。
3日、4日の四の日昼席の前後にちょうどいいですね。
たぶんすごく並んでいると思いますが。
なお、ときわ食堂総本店からの支店でつくる「東京ときわ会」というのがあるそうです。
昔ながらの日本の商店という感じでなんだかとてもいいですね。
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2022年12月18日

ご近所案内 〜麺創庵 砂田(ラーメン)

今では巣鴨で行列と言えばここだそうです。
地蔵通り中ほどの郵便局から脇道に入った肉屋の隣、
ご丁寧に「行列の方はこのように並んでください」という図入りの貼り紙が。
でも私が行ってみた時にはそれほどでもなくすぐ入れました。
ブームは去ったのか?

入って分かったが、カウンターの客席が6つしかない。
店主が3人分ずつ作っているが、良く言えば丁寧、はっきり言えば、遅い。
3人分のラーメンで15分かかるって、これじゃあ回転悪くて行列になるわな。
ここはもともと、ミシュランの星付きで一躍有名になった「蔦」の分店があった所で
その後しばらく空き店舗になっていました。

白河ラーメンの名店ということですが、そもそも白河ラーメンを知らないんですが。
出てきたラーメンはスープは一見あっさりしているようで、結構コクがある。
麺はちぢれ麺でコシがあって、何よりチャーシューが絶品。
炭火焼で、しっかり炭火の味がする。
結構分厚く切ってあるので食べ応えがある。
総じてすべてにこだわって丁寧に作っているというのがわかる仕上がり。
オヤジ、いい仕事してますなあ。
これで1000円以下というのがまた嬉しいじゃないですか。
古奈屋も見習って欲しい。
もっともコクがあり過ぎて、年寄りにはちょっともたれるので再訪はないかも。
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2022年12月11日

ご近所紹介 〜カレーうどん古奈屋(こなや)

巣鴨で行列の店と言えばここのようです。
とげぬき地蔵高岩寺の北隣に面した小さな店でしたが数年前に店を拡張しました。
ただ、それからあまり行列はなくなったような。
カレーうどん専門ということで(普通のうどんもある)日清食品のレトルトもある。
クリーミーで美味しいという評判のようだが、スタンダードなカレーうどんで1,210円
一番高いえび天カレーうどんは何と1,720円!
うどんでこの値段って。。

実は数年前に一度食べたことがあります。(その時はもうちょっと安かった)
まー確かにクリーミーで美味いっちゃー美味かった。
が、家で作った2日目のカレーに牛乳入れて延ばしたのとそんなに変わらなくないか?
それにカレーに天ぷら入れるってどうなの?
カツカレーというのはありだと思うが、天ぷらはちょっと違うような。

以前はあちこちに支店を作ってたようだが、今は丸の内と横浜だけ。
韓国の日本ブームに便乗して、あちらでの営業に力を入れているというウワサも。
近所の店が繫昌するのは喜ばしいことでありますが、
うどんとかラーメンで1000円以上というのは、私は受け入れられないのよね。
でもそんなの気にしないという方はぜひお立ち寄りください。
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2022年12月04日

ご近所情報 〜 座・ガモール

地蔵通り商店街を中心に、西巣鴨の大正大学が企画運営するアンテナショップです。
最近あちこちにできていて、大正大学の地蔵通り乗っ取りか?
でもおかげさまで若者参加の活気あふれる商店街になってきているような。
また、地域を活かす人材育成を行う学生の実習の場として活用されているそうな。
接客や商品選定など実践的な経験を積みながら、学生の起業家精神を養い
店内にはAIカメラやAIサイネージを設置し、データサイエンス教育を展開するって、
大学教育も変わってきたもんだ。
まあ変わっていかないと生き残れないんでしょうね。

「ガモールマルシェ」
1号店東北、2号店京都、3号店北宮崎を中心に連携自治体の特産物を販売。
特に2号店は「すがものはなれ」と称して京都工芸職人によるワークショップもあったり
さすが京都というべきか。
でも京都なんてアンテナショップなんていらなくないか?
と思っていたら、もともと八重洲にはあったらしいく今はここだけだそうです。

「志學亭」
大正大学地域構想研究所の研究員でもある立川志らら師匠が店長を務めるカフェで、
月3回落語会を開催、1ドリンク付1000円で3席だそうです。
一度志らく師匠も来られたようですが、
落語ちゃんとやったのか、料金はどうだったのかなどは不明。
ちなみに今月は13日(火)20日(火)22日(木)です。

「ガモール プロダクトラボ」
新たな巣鴨名物として「すがもプリン」や「シフォンケーキ」を研究開発、販売。

「座・ガモールクラシック」
大正大学5号館8Fのレストランで、元プリンスホテルのシェフによる
本格的なフレンチがリーズナブルな料金でいただけます。

少子化の中生き残りをかけて着々と進化する商店街、そして大学、
昔の雰囲気はもうすっかり薄れてしまいましたが、仕方のないことでしょうね。
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2022年11月27日

ご近所情報 〜 ぼんご(おにぎり屋)

大塚駅前の超有名なおにぎり屋さんです。
以前は旧ガン研通りにありましたが、最近移転しました。
けっこう古くからある店で、たぶんおにぎりだけ食べさせる店がまだなかった頃、
あたたかいご飯を握ってその場で食べさせるというスタイルが受けたのか
けっこうな人気店になりました。

テレビでもたびたび取り上げられ、そのたびにお客が増えて店外に列ができるようになり
近隣の商店に迷惑になるということで、行列ができても大丈夫な場所、
都電線路の脇の店舗に越してきました。
私は実は一度も入ったことないです。
ただ、外から眺めるに、前の店よりいくぶん狭くなったように思います。
そのせいなのか、店が目立つようになったのか、SNSなどのせいなのか、
いつもただならぬ行列です。
この前ざっと数えた所、店の前に15人ほど、都電踏切を超えて50人ほど並んでましたよ。

おにぎりでそんなに並ぶかあ?

というのが正直な所。
お値段もなかなか。
最低で1個350円、高いものは600円ほどらしい。
結構大きいらしいが、それにしても。。

ふわっと握った炊き立ての美味しいご飯に美味しい海苔、そりゃ美味しいでしょうよ。
そんなの誰がやっても美味しいだろうと思うのは私だけか?
まあ、たぶん美味しいと思います。
1個3〜500円出して、しかも1時間以上(たぶん)並ぶ気があるようでしたら
ぜひ一度食べてみられたらいいと思います。
何度も言いますが、私はこの地に住んで40年、
大塚はしょっちゅう行きますが一度も入ったことはありません。
もし食べた方がおられましたらぜひ感想をお寄せください。
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2022年11月20日

ご近所紹介 〜 千成(せんなり)もなか

先週の巣鴨湯に続き、しばらくスタジオフォー周辺のご近所紹介です。
今日は大塚駅と巣鴨駅の近くに店舗を構える千成もなかです。
(大塚が本店で巣鴨店は25年前に開店)
千成という名前の通り、5色の千成瓢箪の形の皮に5種類の餡が入って600円。
でもここのウリは店頭で皮を焼くどら焼き。
そしてこの皮だけを「和風パンケーキ」と称して6枚入り220円で販売しています。
大塚星野リゾートOMO5の旬のカフェでは、フルーツとブリュレ風のクリーム、
ほろ苦いキャラメルソースクリームをトッピングした「OMOどらパンケーキ」として
好評を博しているそうです。
大塚本店ではサービスで焼き立ての皮を1枚くれるので、
待ってる間に食べられるんですが、何とお茶もサービス。
そして塩をパラパラふりかけたカルピスバター入りの「あんバター」は
塩気とそれいよりいっそう引き立ったあんの甘さがクセになります。
巣鴨店は奥にイートインスペースがあり、
夏にはシロップかけ放題のかき氷が登場します。

大塚店は南口(スタジオと反対側)の商店街の奥にあるのでわかりにくいですが
ちょっとしたおやつに、おみやげにいかがでしょうか。
巣鴨店は大通りに面した商店街で分かりやすいです。
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2022年11月13日

東京の銭湯 〜 巣鴨湯

スタジオフォーから一番近い銭湯が、庚申塚の巣鴨湯です。
庚申塚交差点から少し大塚寄り、スタジオから歩いて2、3分ほどです。
ずいぶん昔からありましたが何か古めかしくて、というより清潔感に乏しく
反対方向の椿湯が大改装してスーパー銭湯並のニュー椿になってからは
もうほとんど行くことがなくなりました。

1年近く前から閉まってたので、もうここも廃業かなあと思っていたら、
何と先月、リニューアルオープンしましたよ。
初日に並んで入りました。
(銭湯に並んで入るなんて初めて)

できたばかりだから綺麗なのはもちろんですが、脱衣場、浴室が何と畳!
もちろん浴室用の畳なのでソフトタイルみたいなものですが
ひんやりせず滑らず快適そのもの。
洗い場にはボディソープ、シャンプー、コンディショナーがあるし
(リンスインシャンプーじゃない!)
銭湯定番の色付きの湯(バスクリンみたいなの)がなく
ぬるい微泡湯がクセになる気持ちよさ。
カランのデザインも含めてオシャレでまるで高級ホテルの大浴場ですよ。
他にも、脱衣所にボディードライヤーがあるとか(これがすこぶる気持ちがいい)
浴室の中にリラックスルームみたいなんがあったり電気風呂まであるし。

そしてここの最大のウリが「おけしゃんろうりゅー」というサウナ室。
サウナストーンを入れた桶を積み上げシャンパンタワーみたいみたいにして、
20分ごとに水が吹き出てぶわっと蒸気が出る(ロウリュー)らしい。
男湯なんていつも30分〜1時間待ちだけど時間になるとスマホで連絡来るそうだ。
よくできてる。

店の人は若いのばかりなので、代替わりしたのか
プロデューサーみたいな人がいて権利買い取ったのか不明だが、
ここはたぶん東京で一番の銭湯と言っても過言でないな。
これまでは鶯谷の萩の湯だったけど。
営業時間は15〜24時(土日は12時から)なので、
スタジオご利用の折にはぜひ寄ってみてください。(火曜定休)
生ビールも売ってます。
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2022年11月06日

「奴の小万」の舞台を歩く 〜最終回 大阪の豪商たち

さて、奴の小万シリーズも最終回です。
今回は小万の実家、木津屋(落語では河内屋)をはじめとする大阪の豪商についてお話します。

戦国時代が終わり秀吉が大阪城を築城した所から、大阪は政治経済の中心になりました。
関ケ原以後江戸に政治が移っても、中心は依然大阪でした。
武士の収入は年貢米ですが、米がそのまま金として通用するわけではもちろんない。
米を貨幣に変える両替商が経済を動かしていくことになるのですが初期の頃は各地で勝手に価格が決められ非常に混乱していました。
そこで市場を開設して公平な取引を始めたのが淀屋、それが幕府公認となり青物市場、魚市場なども開設、また新田開発や土木工事など様々な事業を興しました。
「淀屋橋」も、淀屋が自費で懸けた橋です。(現在は二代目)
総資産は約20億両、現在の貨幣価値に換算すると約200兆円にもなりました。
(ちなみに今の日本の国家予算は300兆円)

大阪の豪商で一番思い浮かぶのが、落語にも登場する鴻池善右衛門でしょう。
兵庫県伊丹で酒造業を営んでいましたが、江戸時代になって初めて清酒の製造を発明し(それまでは濁り酒しかなかった)
それが大ヒット、清酒を江戸に運ぶために海運業、両替商を興し、鴻池一族はのれん分けなどで一大財閥と成長しました。

三井銀行として今にも残る三井家は松坂から始まった豪商です。
始まりは江戸時代初期、越後守三井高俊が武士を廃業し質屋兼居酒屋を開業した所から。
のちに江戸の町で呉服屋を開業、現金掛値なし、切り売り、正札販売など当時からすれば画期的な販売方法で大当たりとなりました。
これが三井の越後屋、すなわち三越です。
三井家も同族で各地の豪商となりました。
さて、2015年放送のNHK朝のテレビ小説「あさが来た」はご覧になっていましたか?
これは実在の人物をモデルにしたドラマです。
幕末、京都三井家の娘、春と3歳下の浅子は、それぞれ大阪の豪商「天王寺屋」と「加島屋」に嫁ぎました。
どちらも鴻池に並び、十人両替と呼ばれた名だたる豪商だったが、明治維新になり、大名への多額の貸付金が回収不能となった上に貨幣制度の変化、新政府からの徴用などで、春の嫁いだ天王寺屋を始め次々に没落、しかし加島屋は浅子のがんばりと才覚のおかげで維新を乗り切り現在に至っています。
(大同生命、日本女子大学)

奴の小万からずいぶん話が遠くなってしまいました。
小万の実家の木津屋は両替商ではなく薬問屋だったので戦前まで残っていたようですが第二次大戦の空襲で何もかも焼けてしまったようです。
現在は子孫の方が心斎橋の西の方でリフォーム屋さんをされているようです。
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2022年10月30日

「奴の小万」の舞台を歩く〜その4 実際に三休橋筋(さんきゅうばしすじ)を歩く

先週ご紹介した、ガス燈輝く夜の三休橋筋を歩いてみました。
まず、スタジオでも会をやっている旭堂南歩さんがご出演ということで船場の北の端、堺筋線「北浜」駅すぐの青山ビルへ。
ここは西園寺公望の渡欧に同行した野田源次郎が、その時の見聞をもとに大正10年に建てたスパニッシュスタイルの個人邸宅でした。
外観全面を覆う蔦は甲子園球場より株分けされたものだそうで当時からのステンドグラスや、アールデコ調の内装がノスタルジックです。
戦後賃貸ビルとなり、今はレストランや雑貨屋などのテナントが入っています。
その地下室で講談の会があったんですが、入口も別、外観や内装とは真逆の単なる地下倉庫だったのがびっくり。
でもよく響いて音響はバツグンでした。

会終了後、少し西に歩いて三休橋筋に出まして、さてガス燈はと見回してみたら確かにあるにはあったが、光が弱いのか周囲の信号機や店の照明が明るすぎるのか、全然目立たない。
綿業会館も、案外地味。
まあでも派手なネオンサインはないし、建物もお店もシックで落ち着いているし、銀座をちっちゃくしたような素敵な雰囲気です。
そのまま南下して15分くらいで中央大通りと交差、この道が、上に高速道路を背負って建つ船場センタービルです。(7/24メルマガ記事参照)
横断してさらに15分ほど南下すると、船場の南端、旧長堀川、埋め立てられて長堀通。
かつてそこにかかっていたのが三休橋なので、標識でもと思ったが、何もナシ。
そこを超えると鰻谷(うなぎだに)という地域になって、いきなり飲み屋街になる。
奴の小万の生家、木津屋はこのあたりでした。
さらに南下すると飲み屋の質が激変してくるのでビックリ。
黒服やらホストやらのお兄さんとか、夜のお姉さん向けのドレスの店とか夜中の3時まで営業している焼き立てパン屋とか、18禁のご紹介の店とか。
きょろきょろしているうちに到着したのが道頓堀。
目の前に道頓堀川、周りはネオン輝く夜のお店。
これどっかで見た景色だなあと思ったら、そうだ、博多の中州だわ。
実際に歩いてみると色々発見があって面白い。

ちなみに、筋というのが南北の道で、通りというのが東西の道です。
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2022年10月23日

「奴の小万」の舞台を歩く〜その3 三休橋

三休橋は船場の南端長堀川にかかるいくつかの橋の一つで、位置的にはちょうど真ん中、その三休橋の道筋を三休橋筋といって御堂筋と堺筋という大通りに挟まれた、船場のちょっとマイナーな通りです。
明治の頃まで、船場の南側である難波の千日前に焼場や刑場があり、この三休橋筋が市中引き回しのルートだったそうで、途中罪人が三度休ませてもらったのでその名がついたそうな。(諸説あり)
なお、千日前の名の由来は、そのあたりに千日念仏を唱える寺があったからでその一つが法善寺、周辺の通りがあの有名な法善寺横丁です。
今は吉本の本社があり、なんばグランド花月や漫才劇場などを擁する、お笑いのメッカになっています。

さて、大通りに挟まれた地味な感じの三休橋筋ですが、そのおかげか昔の建物が多く残っています。
もっとも、小万の生きた江戸時代ではなく明治になってからの近代建築ですが、綿業会館、日本基督教団浪花教会、旧大阪教育生命保険ビル、旧大阪農工銀行、大阪中央公会堂など歴史的建造物の宝庫です。
その一つ、綿業会館は国の重要文化財になっており、建築費は現在の貨幣価値にすると数十億くらいにあたるそうで、同時期に再建された大阪城天守閣の3倍なんだそうです。
国際会議の場として数多く利用され、戦前の日本外交の舞台となっていました。
窓ガラスはすべて金網入りの防火仕様になっており、そのおかげで大阪の大空襲でもほとんど損傷がなかったそうです。
建物は見学もできるようなので、大阪見物のコースにぜひいかがでしょうか。
2000年ころから通りが整備され、何とガス燈が設置されているので、夕暮れにぷらぷら歩くのも楽しいと思います。
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2022年10月16日

「奴の小万」の舞台を歩く〜その2 堂島浜

船場の北には淀川の支流が流れていて、真ん中にある大きな中州が中之島、その中之島をはさんで、南に土佐堀川、北に堂島川が流れています。
江戸時代、船場の豪商淀屋は自費で土佐堀川に橋をかけ、その橋は淀屋橋と名付けられました。
そして自宅前で米市を開催していたが、それが堂島川の北岸(堂島浜)に移され、米の中央市場である堂島米市場が設置されました。
この堂島米市場は世界初の先物取引市場と言われていて、全国各地の年貢米が船で運ばれ大層な活況を呈しました。
奴の小万が活躍したのはちょうどそのころ、大阪商人が最も活躍した時代になります。

とは言え、女性の権利などまだまだ低かった時代です。
女は黙って男に従うもの、という常識を破り、嫁にもいかず、男たちを投げ飛ばしたりする小万に世間は拍手喝采で、浄瑠璃や芝居にもなったほどでした。
その過程で話が脚色され、史実とは異なる小万像になっていったのは仕方のないことかもしれません。
落語の方でも木津屋ではなく河内屋となっています。

ところで堂島浜の北側にできた歓楽街が北新地で、いわゆるキタと呼ばれる一帯です。
船場のすぐ南(長堀川の南)が道頓堀の歓楽街で、こちらはミナミと称されています。
つまり船場を基準に北側の歓楽街がキタ、南側がミナミなんですね。
また中之島には中之島公園、大阪市役所、日銀大阪支店他などがあり、付近には大阪の重要な歴史的建造物がたくさんあります。
関西の歴史的な街並みというと京都ばかりがもてはやされますが大阪にもたくさん見所がありますよ。
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2022年10月09日

ご近所新着情報

今回は奴の小万の2回目を書く予定ししていましたが、スタジオのご近所で新しいお店がオープンしたので早速お知らせします。

7日、地蔵通りにブーランジェリーボヌールというベーカリーがオープンしました。
種類も豊富でいつもいろんな種類の焼き立てパンがあって店もなかなかにオシャレです。
調べてみたらあちこちにお店があるようなんですが、六本木ヒルズ、日比谷ミッドタウン、三軒茶屋なんかですよ。
何で地蔵通り?!
これまで地蔵通りにあるのはあんパン専門店(あんパン、クリームパンは確かに美味しいがそれだけ)
高級食パン屋が2軒(食パンだけってのも。しかも高い。)安くて大きいが味イマイチの店(しかも工場で作って運んでるしるし)
マトモなパン屋はないんかい!
というわけで日常的に美味しいパンが買えるというのは嬉しいです。
巣鴨店限定の、地蔵の顔をかたどったお地蔵パンというのもあります。
まあちょっとお高いのは六本木ヒルズご出身だからしかたないか。

8日には銭湯の巣鴨湯がリニューアルオープン。
ここは昔からあったんですが、イマイチ清潔感にとぼしく何の工夫もなくパッとしないので、もっぱら新庚申塚のニュー椿に行ってました。
が、若夫婦が継いで一念発起し大々的にリニューアル(というウワサ)、今時のオシャレ銭湯に変身しましたよ。
さっそくオープンの12時に行ってみたら結構な行列。
銭湯に行列とは初めて見た。
受付に手間取ってるだけで入れないわけではないというのがわかってきたが、私の数人前で男性の入場制限がかかり1時間待ちだと。
どうもネット情報で、すごくイケてるサウナが入ったてことでサウナーの連中(若い男性)が遠方から大挙して押しかけているらしです。
女湯の方は、ちょっと多いかなくらい。
できたばっかりの銭湯に入るのは初めてなのでそれだけでも嬉しいが、ここが実にいいんだわ。
私のためによくぞここまで作ってくれた、て感じですよ。
奴の小万シリーズが終わったら詳細ご報告します。
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