2023年07月16日

六甲山

先日初めて、神戸の北側に連なる六甲山に行きました。
麓からケーブルカーで気軽に行けます。
神戸という街が横浜みたいな感じなので、
横浜に高尾山がある、みたいな感じでしょうか。
しかし一般に「六甲山」は大小の山を含む六甲山系全域を指し、
最高峰は特に六甲最高峰と称されています。
標高は931mで、神戸と大阪湾を望む360度の大パノラマ展望が広がります。
現在では緑豊かな六甲山も、木の伐採や戦争などで100年前までははげ山で、
何度も洪水や土砂災害が発生していました。
そこで植樹を行い現在のような緑豊かな山になったそうです。

さて、ケーブルカーで山上に上ってみたら、
なんとそこには定期バスが走っているのです。
山の上にはゴルフ場やホテル、レジャー施設、それに別荘などが建ち並び
一大リゾート地になっているんですよ。
六甲山系と称するだけあって、いくつもの頂にそれぞれ色んな施設が建ち並び、
それらをバスで巡回することができる。(もちろん自家用車でも行ける)
カーブルカーも東と西に2本、東端からは有馬温泉に直行するロープウエイがあって
ハイキングコースも無数にあり、ほんとにお手軽です。
しかしお手軽なだけに、遭難する人も多いんだとか。
山はナメてかかってはいけません。

私は東側のケーブルカーで山上まで行き、1時間ちょっと歩いて
そこから有馬温泉まで2時間くらい歩こうかと思ったが
雨が降って来たのでやめて、ロープウェイに乗りました。
山に対しては慎重です。

有馬温泉では太閤の湯という日帰り温泉施設でのんびり。
山に登って温泉入って、て、最高です。
(登ったというにはおこがましいんですが)
【日記の最新記事】
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

六甲山 その2 夜景

六甲山からの神戸の夜景のすばらしさは「100万ドルの夜景」と称されますが
この言葉は1953年(昭和28年)に生まれました。
同年NHKがテレビ放送を開始し、目覚ましい経済成長を遂げていく時期、
山頂から見えた一帯の電灯の1ヵ月分の電気代がおよそ100万ドルだったからです。
これを神戸の旅行会社が六甲山に観光客を集めるために
キャッチコピーとして使いはじめ、一気に有名になりました。
100万ドル払っても観る価値がある位の意味かと思ったら、何と電気代だったとは。
2005年に改めて電気使用量・料金・レートから計算し直し、
今では「1000万ドルの夜景」と称されています。

なお、日本三大夜景は神戸、函館、長崎と言われていましたが、
現在は長崎、札幌、北九州となって、神戸は外れてしまっています。
これは「夜景観光コンベンション・ビューロー」という団体が
全国の約5,500名の夜景観光士という方々に1位から3位まで選出してもらい、
ポイント別に集計し、ランキング化したもの。
3年ごとの更新で、さきほどの3都市は2018年のアンケート結果だそうです。

この三大夜景のナンバーワンは長崎ということですが、
これは湾を囲む地形がすり鉢状で、どこから見ても美しいということだそうで
香港、モナコとともに「世界新三大夜景」にも認定されています。
しかしこれはこの団体が2012年10月に長崎市で行った、
「夜景サミット2012 in 長崎」においての決定なので、
「国体開催県は必ず優勝する」の類ではないかと勘繰ってみたり。
ともあれ、夜景の元祖が神戸ということは紛れもありません。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年07月09日

根津小学校演奏会 

このところずっと曲の解説をしてまいりました演奏会が7月1日開催になりました。
1年半前、コロナもそろそろ収束かと思われた時期に企画され、
結局ぶり返したために延期になったものです。
当時の5年、6年生には結局聞いていただけなかったのですが、その事だけでなく、
そんな感じで子供たちはいろんな行事が中止になって
一番の成長の時期にかわいそうなことだったなあと胸が痛みます。
けれどウクライナの子供たちはもっと悲惨な状況なわけですが、
それに比べるとという事ではなく、世界中一刻も早く子供たちが
のびのび暮らせる世の中にならないといけないし
それは大人の責任だと思うんですけどね。

さて、演奏会では低学年、高学年の二部構成でいろんな名曲を演奏したんですが、
やっぱり低学年の子たちはかわいいですね。
校歌は元気いっぱい、のびのび歌ってくれて感動しました。
また、楽器紹介で「今使っている打楽器は全部学校のものなんですよ」と言うと
一斉に「うおーっ!」と大盛り上がりでした。
高学年の校歌は、上手でしたが静かな感じで、楽器紹介でも盛り上がらなかったが
考えてみるとこの子たちが低学年で元気いっぱいの頃に
一斉休校とか、マスクで黙食で合唱禁止とかだったんですよね。
なんだか色々考えさせられる演奏会でした。

さて、演奏後は楽しい打ち上げ。
これもコロナ以来3年ぶりで、団員のみなさんも大盛り上がりでした。
私は打ち上げ後家に帰り宴会料理を作ってスタジオで落語会の打ち上げをやりました。
やっぱり気兼ねなく飲み会ができるようになってほんとに良かったと思います。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年07月02日

根津小学校演奏会 天国と地獄

演奏会は昨日無事終了しました。
当日の様子などのレポートは次回の通信でゆっくり書かせていただきます。
今回は演奏会でやる曲解説の最後、オッフェンバックの「天国と地獄」です。
この曲は運動会のかけっこで必ず使われるので絶対聞いたことがあると思います。
また、フレンチカンカンの曲としても有名。
(オーケストラ練習ではこの曲のことをカンカンと言っている)

フランスの作曲家オッフェンバックの書いたオペレッタで
ギリシャ神話オルフェウスの悲劇をパロディーにしたもの。
オペレッタはオペラと違いセリフ部分は普通にしゃべるのでミュージカルに近いかも。
もとのギリシャ神話は次のようなものです。
竪琴と歌の名人オルフェウスは、愛妻が毒蛇に噛まれて死んでしまったので
嘆き悲しみ、黄泉の国へ行きそこの王に妻を返してくれと頼む、
彼の美しい音楽に心打たれた王は願いを聞き入れるが
二人とも人間界に戻るまで決して振り返ってはならぬ、という条件。
しかし後もう少しの所で振り返ってしまい、妻を連れ戻せなかったという悲劇です。

ところが「天国と地獄」では、夫婦関係が最初から破綻しています。
羊飼いの娘にうつつを抜かしていたオルフェは、妻が死んでラッキーと思っちゃう。
妻の方も、冥府の王ブリュトンに惚れてたので、死んでラッキー。
ところが「世論」という登場人物がいて、世間体のために妻を連れ戻せと諭され、
しかたなく地獄へ行って返してくれと頼む。
王は、未練があれば必ず振り返るだろうと読んで、振り返らないことを条件に二人を返したが
妻に未練がないオルフェウスはなかなか振り返らない。
そこで雷を落としびっくりさせてむりやり振り返らせ、
妻は黄泉の国に戻り、オルフェウスも嬉々として羊飼いの娘の所へ向かう。
黄泉の国では退屈して降りてきた他の神々と一緒に飲めや歌えの大宴会で、
「世論」以外は皆満足し、ハッピーエンド、とまあこういうお話です。

この「世論」という人物設定がスゴイ。
神々も人もみな「世論」に恐れをなして顔色を窺って行動している。
しかし「世論」に従わなければみんなハッピーって、
160年以上も前に書かれた話ですが、今も変わりませんね。
「世論」(=世の中、周囲のたわごと)に振り回されて生き辛くなったら、
天国と地獄を聞いて走りだしてみるといいかも。
なにせ、かけっこの曲ですからね。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年06月25日

根津小学校演奏会 校歌 根津小学校演奏会 校歌

演奏会では校歌も演奏します。
もともとこのオーケストラは藝大の作曲家の先生の創設なので
オリジナル曲やオリジナルアレンジはお手の物です。
10年ほど前には文京区のすべての小中学校の校歌をオーケストラアレンジして
演奏して録音するというプロジェクトもありました。
今回、その時の楽譜で校歌を演奏し生徒が一緒に歌うという企画ですが
生のオーケストラを伴奏に校歌を歌えるなんて羨まし過ぎます。

作詞は古関吉雄、作曲は岡本敏明、
古関、という名前でピンときたあなた、その通り、
朝ドラ「エール」のモデル古関裕而の従兄弟に当たる方です。
明治大学教授を務めた国文学者で、音楽教育に尽力し
武蔵野音楽大学を創立、初代学長になった方です。
作曲の岡本敏明は、牧師の父のもと全国を転々としながら
教会のオルガンを聴いて育ち、合唱団の設立や指揮に携わり
多くのオルガン曲や讃美歌を作曲しました。
古関吉雄とは親交が深く、このコンビで多くの校歌を作曲しています。

ところで校歌って、みなさま覚えていらっしゃいますか?
小学校は6年間もあり、まだ子供で素直ということもあって案外覚えているものです。
私の小学校校歌は歌詞の後半に「励みて楽し」という部分があるのですが、
当時校長先生の頭髪が薄く、この部分になるとみな一段と声が大きくなっていました。
今にして思えば校長先生への集団イジメですよね。
どういう思いで聴いていらっしゃったのか、今思えば胸が痛みます。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年06月18日

根津小学校演奏会 その3 花のワルツ

題名は知らなくても絶対どこかで聞いたことがあると思います。
チャイコフスキー作曲のバレエ曲「くるみ割り人形」の中の1曲で、
「白鳥の湖」「眠れる森の美女」と共にチャイコの「3大バレエ曲」と言われています。
その中でもくるみ割りは演奏会用組曲をして編曲され人気の曲です。
短めのキャッチャーなメロディの宝庫なので
その一部は今でもCMなどによく使われていますよ。
特に「金平糖の踊り」は、調べた所ソフトバンク、リンナイ食洗器、住友生命、
明治チョコレートなど非常に使用頻度が高いようです。
この「花のワルツ」もCMでもよく使われますが、
フィギュアスケートの伴奏曲にもよく使用されます。
ワルツなので、踊りやすいんでしょうね。

チャイコフスキーの音楽を一言で表せば、ズバリ「メロディー」でしょう。
ロシアの田舎の、音楽をたしなむそこそこ裕福な家庭でしたが
家族に音楽家はおらず、彼も音楽教育は受けませんでした。
法律学校に行って法務省に入り幹部候補生として働いていたものの
仕事に熱意は持てず、演奏会やオペラ、バレエに入り浸っていたそうです。
とにかく音楽が好きで、結局23歳の時仕事をやめ
音楽学校に入りなおして本格的に勉強し始めました。
音楽家としては非常に遅いスタートになります。
そのせいか、慣習に囚われず自分の中から湧いてくるメロディーを書き続けました。
アカデミックの世界からは批判を浴び続けたものの、
民衆からはそのメロディの力で熱狂的に支持されました。
後には正当に評価され、音楽院で教鞭をとったりしています。

くるみ割り人形は晩年の作で、その後交響曲「悲愴」を書いた後亡くなりました。
53歳でした。
ホモセクシュアルでトラブルを抱えていたという噂もあり、
最後の曲のタイトルが悲愴ということもあり、謀殺されたという疑惑も。
キャリアのスタートが遅く、晩年に傑作が多いので、
もう少し長生きしていたらなあと残念です。

なお、白鳥師匠の出囃子が白鳥の湖というのは言わずもがなですが、
まさか三味線で弾かれているとは、チャイコも天国でビックリでしょうね。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年06月11日

根津小学校演奏会 その2 威風堂々

この曲を初めて弾いたのは、息子の高校の吹奏楽演奏会の
助っ人出演した時なので、もう20年以上も昔の話です。
弾いてみると、胸に迫って来るというか、カッコイイ曲なんですよ。
イギリス第二の国歌というのもむべなるかなです。
参考までにとyoutubeで、ある演奏会の動画を見てみたら、
なんと中間部のゆったりした所で、何千人もの観客が一斉に歌いだした!
それだけじゃなく、国旗振ったり、隣の人と抱き合ったり。

では歌詞はと調べてみたら、自国をたたえ領土拡大を宣言、て、
覇権主義そのものではないの。
さすが帝国主義時代に生まれた歌。
ホントの国歌God Save the Kingも、国王陛下万歳な歌だし。
(ちなみにエリザベス女王は時代はGod Save the Queenだった)
日本の国歌は天皇をたたえる歌なので民主国家にふさわしくないから
歌わないとか反対とか、いまだに論争が絶えないし、
何万人が一斉に歌いだすという場面もない。
私個人的には賛成でも反対でもないけれど
(メロディがしめっぽいのであんまりカッコよくないとは思う。
まあでも日本的ではあるし、荘厳だし、それはそれでいいのかも。)
自国をたたえる歌を何万人もの人が一斉に歌いだすイギリスは
ほんとにうらやましいなあと思います。
やっぱり誇りを持ってるんでしょうね。
それを思うとわが国は。。とか、色々考えてしまいます。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年06月04日

根津小学校演奏会 その1 スターウォーズ

文京区のアマチュアオーケストラに入って、もう20年くらい演奏活動しています。
そんなご縁で、文京区内の学校や施設に演奏しに行くことがあるんですが、
今度は根津小学校の音楽鑑賞会に出演することになりました。

実は1年半前、少しコロナが収まってきたころ、
もうそろそろいいんじゃないかということで企画されたんだが
やっぱり感染がぶり返して延期になったものです。
1回練習だけはしたが、見事に手も足も出なかったのが、これ。

スターウォーズ、映画は大好きで何度も見ましたよ。
もちろんシリーズ全部。
初期の三部作はDVDも買いました。
あのオープニングテーマは耳にこびりついていると言っても過言ではない。
が、しかし、全く弾けない。
全然音符が読めない、どこやってるかまるでわからない、頭真っ白。
なんでやね〜ん!

来月やっと演奏会ができることになり、楽譜を取り出して弾いてみた。
あれ?前より確実に弾けるわ。
それでもう少し練習したらだいたい弾けるようになった。
熟成されてきたのか?(んなアホな。)
たぶんこの1年半の間にバルトークとか現代音楽とか変拍子とか
小難しい曲をたくさん弾かされてたので、力が付いたのかもしれない。
楽器の演奏もスポーツと同じで、少しキャパ超えるくらいのことをやり続けて
成長できるのかもしれないなあと思った次第です。
何でも本質は同じですね。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年05月28日

私の初体験 〜作詩

先週、作曲について書きましたが、作詩も実は同時、
つまり小学校6年の授業の一環で作詞作曲をしたわけです。
そこで作詞に目覚めた、わけでは全くなく、
その後ロックにのぼせジャズにいそしんで、40過ぎて曲を作り始めても
それを歌にするという意識は全くなかったのです。

今から10年以上前、もしかしたらもう20年くらいたってるかもですが、
いろんなつてを頼って、バンドで東北へライブツアーに行きました。
久慈の木工ギャラリーで演奏した時のこと、
何曲かオリジナルをジャズのスタンダードに混ぜて演奏したら
聴きに来ていた久慈在住の詩人に、自分の詩に曲を付けて欲しいと頼まれ
一冊の詩集を渡されました。
いやあ、詩に曲を付けるとかやったことないんですけどと思いつつ
パラパラ読んでみると一つの詩が目に留まりました。
その詩を繰り返し読んでいくうち、鼻歌のようにメロディーが出てきたんです。

夏目漱石の夢十夜という小説に、明治時代に運慶が現れ、
大きな丸太から何の迷いもなく仁王像を彫り上げているのに感心していたら
「あれは作り出しているのではなく、埋まっているのを掘り出しているのだ。」
とそばにいた男に言われるという話があります。
この運慶ほどたいそうなものではないけど、作詩作曲というより
そこにあるべきものを見つけただけと思っています。
その後、私の作る曲にはほとんど自分の歌詞をつけるようになりました。
そうこうしているうち、既存の曲にも自分の歌詞をつけるようになりました。
ただし私は歌手じゃないので歌う人がいなくて演奏だけです。
そのうち歌ってみたいなあと思っているうち10数年たってしまいましたが
実は今、大阪で機会をみつけて歌っています。
東京でお披露目する時はぜひ聞きに来てください。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年05月21日

私の初体験 〜作曲

私が初めて作曲したのは小学校6年生の時です。
担任が音楽好きで、童謡、唱歌、外国の民謡などなど
いろんな歌を教えてくれてみんなで歌っていました。
その一環で「クラスの歌を作ろう」という授業がありました。
なので私に限らず当時の6年1組全員、あの時が初めての作曲です。
とはいえ作曲法を習ったわけでもなく、
それまでずっと歌ってきたような感じで
歌詞を書いてみてそれを鼻歌で歌ってみる、という感じ。
でも先生始めクラスのみんなに絶賛されました。
それで作曲に目覚めた、というわけでもなく、
中学、高校でロックにはまり、大学でジャズを始めてから
全く作曲とは縁のない音楽生活でした。

それが40過ぎたある日、夢の中で誰かがアルトサックスを吹いていて、
そのメロディーが印象に残っていたので、目覚めた後楽譜を書きおこしたんです。
もしかしたら寝てる間にラジオかなんかで流れてきた曲なのかなあと思ったが
全くそんな気配はナシ。
あ、これは私の中から出てきた曲なんだ、と思ったら、
つまり私の中には曲があるんだと自覚したら
なんとその後次々に曲が出てきて30曲以上にはなったかな。
駄作もあるので、ちゃんと使えるのは10数曲ですが。

曲が降臨する前の10年くらい、ずっと曲の分析をしてました。
ジャズのスタンダードなどを演奏し続けているうち
好きな曲とそうでもない曲がはっきり認識されてきて
なぜ好き嫌いが生まれるのか、自分がどこに感動するのか知りたくなったんです。
やりたい曲のメロディーやコードを聴きとって譜面に書き起こしたりもしました。
そういうことが蓄積されて、醸造され発酵されたんだと思います。
思えば小学校の作曲も、その前にずっと歌って曲が蓄積されてましたし。

何かが創造されるというのは、
それまで長い時間蓄積されたものがあるからじゃないかと思います。
人生というのは、どんな形であれそれぞれの蓄積なので
誰にでもそこから生まれてくるものがあると思います。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年05月14日

私の初体験 〜じんましん

初めてじんましんを発症したのは、忘れもしない中学三年の2月、
高校受験を目前に控えた時期でした。
ほとんど風邪をひいたことがなかったが、その時は高熱が出て
病院で風邪薬を処方してもらい、その翌日くらいだったと思います。
体中赤いポチポチがびっしり、ひたすらかゆい。
こんなこと初めてだったし、その時は原因もわからず治るかもわからず、
何か人生に絶望してしまった一瞬でしたよ。
体中赤い発疹で、見るとゾッとして一層かゆくなるのになぜか見てしまうのよね。
そのたびにゾッとして、そのたびに絶望するという最悪な日々でした。
病院からは抗アレルギーの薬などもらって一週間ほどでおさまったが
その後も数年に一度その繰り返し。
もうそのうち高熱出ても病院に行かなくなりましたよ。
氷で頭冷やしてバッファリン飲んでじっと寝てる。
市販の風邪薬は大丈夫だったんです。
昔は薬を病院で調合して薬包にして渡されていたので
何が原因なのか全くわからなかったんですね。
食べ物では出たことはなかったが、アレルギー体質なんだと思います。

さて2年前の11月、いちょうの実がいっぱい落ちてたので
喜んで拾い、洗って種を取り出しぎんなん作りをしたんです。
(ぎんなん大好きなので)
実がかぶれるのは知っていたのでちゃんとゴム手袋してたんだが
粗忽な性格でぬかりがあって、実を洗った水にちょっと触れてしまったのね。
そしたら3日後にものすごい発疹!ものすごいかゆみ!
ただ、その頃はちょうど膝の骨折で入院中。
手術後麻酔が切れてた間は術後の痛みの方が大きく、かゆみは全く感じなかった。
翌日から痛み止めを服用し痛みは無くなったら、かゆみがもう半端ない!

この時の経験から言えることは、痛みとかゆみは同時には存在しない。
そしてかゆみより痛みの方が強いということ。
かゆみはほんとに我慢できないが、痛い方がもっと強い。
かゆくてかきむしるということは痛みを与えて打ち消していたんですね。
痛みというのはそれほど強い物かと思います。
DVなど痛い目にあわされて思考力判断力が低下していくのは、さもありなんと思います。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年05月07日

私の初体験 〜文楽

初めて文楽を観たのは20年近く前、志の輔師匠の会でした。
その時は八百屋お七の話と猫忠をやったと思います。
猫忠は普通に落語をやってて、猫の告白の時突然文楽になって
兄妹の猫が舞台を駆け回り志の輔師匠が浄瑠璃調で
猫の告白を語りだす、という趣向でした。
それを観てハマった、というわけでもなく、
2年販前に大阪に行きだした時、そこがたまたま文楽劇場の近くで、
そんなに高くないしいつでも空いてるのでちょっと行ってみようか
と思っただけなんです。

大阪で一番最初に観たのが「源平布引滝」(げんぺいぬのびきのたき)
振袖のまま琵琶湖に飛び込んで泳いで船を追いかけるとか、
あり得へん〜〜と思いつつも人形の動きや浄瑠璃の語りに引き込まれて、
今じゃすっかり文楽にハマってます。
(ちなみに琵琶湖は淡水なので海水のように体が浮かず泳ぐと危険なんです)

歌舞伎と共通する話もあり、落語のネタ元もあって色々楽しめます。
先ほどの猫忠の元になった義経千本桜とか忠臣蔵とか
落語を知ってたからこそより楽しめるというのもあり。
蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)という話は
殺されかかった狐を助けた男のもとに女に化けた狐が現れ
夫婦になって子供を授かるが(その子は長じて安倍晴明となる)
正体がばれてもうここにはいられないと句を書き残して去っていく。
その句がこれなんですが
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
落語の安兵衛狐、上方のオチがこれなんですよ!
大阪では文楽が文化として浸透してるんだなあと思いました。

だけど大阪で知り合った友達はほとんど観たことないと言ってましたけど。。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年04月30日

うすいえんどう

関西では今の時期、えんどう豆の一種のうすいえんどうがたくさん売られています。
えんどう豆は、さやごと食べるさやえんどうと実を食べる実えんどうに大別され、
うすいえんどうは実えんどうの一種。
関東ではグリーンピースとして親しまれています。
なので、グリーンピース=うすいえんどうだと思っていたら、
実は別物だということが判明!

明治時代にアメリカから入ってきた実えんどうがグリーンピース、
それを改良し大阪府羽曳野市碓井で栽培されたのがうすいえんどう。
つまり「碓井えんどう」なんですね。
違いは、うすいえんどうの方が
 実が大きい
 上品で繊細な甘み
 ほくほくとした食感
 グリーンピースと比べて皮が薄く青臭さも少ない
 色は少し黄緑に近い色合い
 今の時期しか手に入らない。
なので豆ごはんにピッタリで、関西ではしょっちゅう豆ごはん作ります。
でも関東ではほとんど、というか全く見かけない。

この話を大阪の友人にしたらみな一様にびっくりして、
「え〜っ!!じゃあ、豆ごはんはどうやって作るの?」
と言うので、豆ごはんなんて作らないよ、と答えたら
もっと「ええ〜〜っ!!!」と絶句してました。
当たり前だと思っていたことが当たり前じゃなかったというのは
これだけ情報が発達した今でもあることなんですね。

ちなみにうすいえんどうは、今はほとんど和歌山で栽培されています。
生産量は全国の実えんどうの何と半分以上、2位鹿児島の4倍です。
また、150年ほど前チェコの生物学者メンデルは
えんどう豆を研究して遺伝の法則を発見しました。
英語では、えんどうのような丸い豆は"bean"ではなく"pea"と総称され、
単に"pea"といった場合は、えんどうのことを意味します。
なので、緑の丸いえんどう豆で「greenpeas」なんですね。
以上、ちょっとした「豆」知識でした。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年04月23日

私の初体験 〜札幌ラーメン

4歳上の姉が東京の大学に行っていたので、高校生の頃遊びに行ったことがあります。
その時、食べさせてもらったのが札幌ラーメン。
生まれも育ちも福岡なので、ラーメンといえば博多ラーメンしか知らなかったので
初めて食べた時は衝撃でした。

食べたのは「塩バターラーメン」でしたが、
麺が太い!
量が多い!
コーンが載っている!
バターも載っている!
なにしろ食べ盛りの高校生だったので、
こんな美味しいものがこの世にあったなんて!と超感激。
そして行く先々にこの札幌ラーメンのチェーン店があったように思います。
今は札幌ラーメンて、ほとんど見かけなくなってしまいましたね。
もう飽きられてしまったのでしょうか。
またあの塩バターラーメンを食べてみたい気がします。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年04月16日

私の初体験 〜河内音頭

三味線をやることになった、と先週書きましたが
大阪で、三味線教えてくれる所ないかなと友達に話したら
いいとこありまっせ〜と紹介してくれたのが、河内音頭の会。

全く何も知らず、もちろん三味線もろくに弾けず、とりあえず練習会に行ってみた。
真ん中に歌う人(音頭取りさんという)その向こうにエレキギターと太鼓。
エレキギター??
この時点ですでにナゾ。。
先輩の三味線の人にいろいろ聞きながら何となく調子を合わせる。
一曲終わったら歌の人は太鼓の所へ行き、今度はギター弾いてた人が歌い出す。
さらにナゾ。。
そして、演奏してた人達が次々入れ代わりで歌い出す。
そして長々やってわかったのは、マクラとネタがあるということ。
マクラの部分は自己紹介で「私はこれこれこういうもんです」と節にのせて歌い、
ネタの部分は清水の次郎長とか、無法松の一生とかの話をこれまた節に乗せ
いろんな登場人物を、かみしも振って歌い分ける。
これって浪曲?落語?

河内音頭とは、大阪の河内地方で歌い継がれてきた民謡ですが
決まった楽譜や歌詞を持たず、浪曲や他の民謡と融合して、
音頭取りさん(歌う人)が歌い上げる非常にユニークな芸能です。
いわゆる「正調」がないんですね。
なのでエレキギターやシンセサイザーなどとも一緒に演奏される。
ネタの部分は即興で時事ネタなどを歌いあげたりするそうです。
そしてお囃子、踊り手、すべてを引っ張っていくのが音頭取りさん。
「音頭を取る」というのはここから来ているそうです。
(しかし20代の4人に1人は意味を知らないそうだ)
さらに言えば銀行の代表者頭取の語源もこれ。

東京でも、阿波踊りやよさこいソーランなど地方の盆踊りが盛り上がっていますが
次に来るのは河内音頭じゃないかと密かに思ったり。
なお、錦糸町では毎年イベントをやっているそうです。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年04月09日

私の初体験 〜三味線

これまでは昔の話だったんですが、実は最近三味線を始めたということでご報告。
今月29日に百栄師匠の会があるのですが、そこで出囃子を弾くことになりまして、
ただいま練習中です。
楽器は持ってなかったが、三味線始めるという話を吹聴していたら、
皮が破れて使ってない楽器があるからあげるという人が現れ
修理して使うことになりました。

ベースは50年くらい、チェロももう10年くらい弾いてるので、
フレットのない弦楽器は何とか弾けるんじゃないかとタカくくってやり始めたものの、
バチで弦を当てる場所が定まらない。
空振りスカということもしばしばで、西洋楽器と全く勝手が違う。
しかも左手の指はほとんど人差し指と中指しか使わない。
弦がゆるみやすく音程がすぐ狂う。
一番びっくりしたことは、歌の伴奏だから、
歌う人の声の高さによってチューニングを変えるんですよ。
西洋弦楽器は左手の指使いを変えるので、歌う人のキーが変わると大変なんだが、
三味線はどんなにキーが変わっても同じ曲は同じ指使いなんですね。
もしかしたらものすごく合理的なのかもしれない。

そして、棹が非常に長い。
胴体が短いというべきなのかもしれないが、
西洋弦楽器の場合一本の弦の音域が、開放弦から胴体の付け根まで(よく使う部分)
だいたい1オクターブなんですが三味線は2オクターブある。
だから「だいたいこの辺」という感覚が全く違う。

29日までにちゃんと弾けるようになるのかはなはだ心もとない状況ですが
頑張って練習します。
ちなみに太鼓は夫がやります。
なかなかに上手なのでこちらはご期待ください。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年04月02日

オマケのオマケ 〜楽器別性格判断

よくバンドの中で話題になるのが楽器別の性格の違いです。
トランペットの人は明るく派手好きとか、サックスはむっつりスケベとか、
トロンボーンはバランスよく人間関係が良好とか、
これは、こういう楽器の人はこういう性格だ、というより、
その楽器に遭った性格の人がずっと続けられるということではないか、
血液型よりよっぽどマトを得てるんじゃないかと私は思っています。

最初楽器をやり始めるとき、特に学校の吹奏楽など
性格に合った楽器を選べるなどまずありません。
たとえばトランペットは派手な楽器で、成功しても失敗してもとにかく目立つので
地味な性格の人は途中でめげてやめてしまうでしょう。
反対にトロンボーンは音が馴染みやすくアンサンブルが楽しい楽器ですが
地味なので目立ちたい人は不満だと思います。
サックスがむっつりスケベというのは出所不明ですが
他の管楽器に比べてキーが多く部品も多いので
黙々と細かい所にこだわる人が多いからかもしれません。

さて、私のやっている楽器はベースと言われるだけあって
音楽の根本の部分を担当しています。
派手ではないがアンサンブルの根本を担う大事なポジションで、
ジャズの場合はベースさえいたら、ドラムやピアノがなくてもいいくらいで、
大局的に判断できる人が多いような気がします。
私も自分で選んだ楽器ではなかったのですが
他の楽器だったらとっくにやめていたかもしれません。
楽器が続かない人は、まだ自分の性格に合った楽器に出会ってないのかもしれませんね。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年03月26日

私の初体験 〜吉野

何度も登場してます、大学の友人「山口小夜子」は
実は京都の人ではなく奈良の吉野の人でした。
実家の吉野の家に何度も遊びに行きましたが、実に色々と衝撃でした。

まず、遠い。
京都駅から近鉄奈良線、樫原神宮前で乗り換えて吉野の山奥まで。
特急でも2時間以上かかる。
駅から家まで、一本道だけど、左手に家、そのすぐ向こうが山、
そして右手が崖、その下が吉野川。
それがずっと続く。
台所では塩ビのパイプから常時水が流れている。
家のすぐ脇が山で、その山から湧き水を引いてるのね。
風呂は五右衛門風呂で、浴室で椎茸を栽培してる。
もちろん薪。
焼きナスは風呂釜にナスを突っ込むというワイルドなもので、
彼女が京都で下宿した時は「風呂がないから焼きナス作れへん」と言ってました。
鮎や熊(ぼたん鍋)を初めて食べたのもここです。

天の香久山や石舞台などいにしえの遺跡がそこらじゅうにあって
子供の時から吉野川が遊び場だった等
教科書に載ってるような所で生まれ育ったとか
なんかもう想像の範疇超えてます。
思わず「すごいねえ。」と言ったら「何も普通やで、」とアッサリ。
ここら辺の人がみな古代史研究家なわけあらへん、と言われて、
まあそりゃそうだけどさ、と思いましたが。

大学のゼミで吉野神宮に行ったことがあり、
宮司さんから「浄瑠璃の妹山背山はそことそこ、」と言われたものの
当時そういうことをなーんも知らんかった私はただふ〜ん、と思っただけでした。
来月文楽でその妹背山女庭訓をやるということで
ぜひ観に行って50年前の恥をそそぎたいと思っています。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年03月19日

私の初体験 〜京ことば

関西弁というのはテレビの漫才とかで聴いていたので
そんなに違和感はなかったです。
ただ、いくつかびっくりした言葉がある。
「あなた」という意味で「自分」というのです。
「あなたはどこに住んでるの?」という意味で「自分どこに住んどんのや?」
という。
でも面と向かって言われるのなら、ああそういう言い方なんだなあとわかる。
しかし大学のホールの他に誰もいない状況で反対方向の遠い所から
先輩が「お〜い、じぶ〜〜ん!」と大声で呼ばれた時には
いったい何を言われてるのか全くわからずきょろきょろ。
もしかして誰かを呼んでる?私??とぼーっとしてたら、
先輩が「自分や、自分、」と言って私の所にやって来た。
あの時はほんとにびっくりしましたよ。

それから、ベースを弾くきっかけになった山口小夜子似の友人、
めでたくお友達になれたので嬉しくて、
「今度下宿に遊びに来て。」というと、「いやおおきに。」と言う。
なので、「いつ来るの?来週?」とかたたみかけても「いやおおきに」しか言わない。
あれは「thank you」じゃなくて「no thank you」という意味だと知ったのは
だいぶたってからのことでした。
なにせ私、直球の福岡人ですので。。

ちなみに小夜子は私が血マメでひいひい言ってる間にさっさとクラブを辞めてしまい
一緒にジャズをやるという夢はもろくも消えてしまいました。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年03月12日

私の初体験 〜ウッドベースその2

さて、勢いでジャズのベースをやり始めたものの
全くの初心者で何もわからない状態だったので、先輩に1から教えてもらいました。
ジャズではでかいベースの太い弦を、弓ではなく指ではじくのですが、
ちょっと弾いただけでマメができる。

「先輩、マメができたんですけど。」
「弾いてりゃなおる」
でそのまま弾いてるとそれが血マメになる。
「先輩、血マメができたんですけど」
「弾いてりゃなおる」
でそのまま弾いてるとマメが破れて痛い。
「先輩、マメが破れて痛いんですけど」
「弾いてりゃなおる」
で楽器を血だらけにしながらヒイヒイ泣きながら弾いておりました。
でもなぜこの時、もうやめたと思わなかったのか不思議です。
痛い以上に楽しかったとか、それは全くない。
ただひたすら痛かった。

でなんだかんだ一か月くらいやってると指ができてくる。
ずっと弾いても大丈夫になってきました。
まあ確かに弾いてりゃなおってきたわけなんだが、
今から思えば立派なハラスメントだよね、これ。
そうこうしているうちに夏休みになり、一か月くらい実家の福岡に帰りました。
もちろんその間全く楽器に触ってない。
で、夏休み明けに学校へ戻って楽器弾くと、何と指がもとに戻ってて
血マメからの再出発!
ひいい〜〜!
それ以来一週間以上実家に帰ることはなくなりました。
今でも長期に楽器弾かずにいると指が戻ってマメができます。
なのでできるだけ弾き続けています。

ちなみに私が弾いているのはエレキベースではなく大きなアコースティックベースで
クラシックではコントラバスとかコンバスとか、吹奏楽では弦バスとか箱ベとか
ジャズではウッドベースと言いますが、全部同じ楽器です。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年03月05日

私の初体験 〜ウッドベース

先週クラシックのコントラバスについて書いたので
今週はその原点、ジャズのウッドベースについて書いてみます。

高校まで福岡で、大学で京都へ行きました。
教育熱心な母親のおかげで兄も姉も東京の大学へ行ったので当然私もと思ったが、
「帰省の切符を買うのが大変なので東京はダメ、できれば地元。」
というナゾな反対を受けて、そんなら京都!と押し切ったわけなんですが
その当時すでに家は火の車だったようで、「できれば地元」が母親の本音でした。
火の車の中、京都に行かせてくれた親には感謝しています。
もっとも50年前は新幹線もなく、盆と正月は皆一斉に帰省するので
切符を買うのに徹夜で並ばなければならずホントに大変だったのは事実です。

さて福岡から東京の大学へ行く人はまあまあいたんですが、
関西はほんと少なかったです。
当然、友達がいない。
寂しいなあと思ってた頃、山口小夜子みたいな(古っ)素敵な同級生が
楽譜持ってキャンパスを闊歩してて、かっけ〜!と感動。
お友達になりたくて話しかけてみると、
「ウチ、ジャズピアノやってんねん。」
ますます、かっけ〜〜!!
「バンドやりたいんやけどベースがいてへんねん。」
それで思わず、「私やるわ!」と宣言。
軽音学部に入ってジャズのウッドベースを弾くことになりました。
あの時彼女が「ドラムがいてへんねん。」と言ってたらきっとドラムやってたと思う。

続く
posted by studiofourmailmagazine at 19:34| Comment(0) | 日記

2023年02月26日

私の初体験 〜オーケストラ

初体験シリーズでは昔のことばかり書いてきましたが、
年とっても初体験はあるものです。

大学に入ってジャズのベースを弾き始めた時、
(これも初体験だったので、そのうちに書こうと思います)
まるで弾けないので習いに行きました。
ジャズベースの教室に行ったのに、楽器の基本はクラシックだからと
弓で音階や基礎練習ばかり。
まあおかげで弓でのクラシックの弾き方はかなりできるようになったと思います。
思っただけなんですが。

で、父親の影響でベートーベンが好きだったのもあり。
50歳過ぎてから突然オーケストラで弾きたい!と思ったんです。
まー私って、なんでもなめてかかるというか、
こんだけ弾けてんだからおっけーじゃね?みたいなノリ。
それで通える場所、時間帯でメンバー募集してるアマチュアオーケストラを
ネットで探して申し込み、参加することになったのが、
今でも続けている文京区民オーケストラです。

弓の奏法もマスターしてるし楽譜も読めるし、と思っていざやってみたら、
「カウント」がなくていきなり始まるから一拍の長さがわからない、
しかも長さが変わる、しかも一拍の基準の音符も変わる、
休みが多いので数えてないと次入れない、
(ジャズはずーっと弾いてるので拍を数える習慣がなかった)
しかも楽譜に書いてない「暗黙の了解」的なものがある、等々。

はっきり言って、茫然自失。
なんですかこれ?!

ただ、初めて練習に参加した時、弦楽器の50人くらいの音が
皮膚から伝わってきたのはものすごい感動でした。
あんなに音に感動したのは初めてかも。
アマチュアの練習の、体育館のような場所だったんですが。
それにハマって今でも続けていますが、あの時の感動は、もうないです。
まあ新婚の初々しさはなくなったが、お互い長く寄り添って
それなりにいい関係になってきたみたいなものかもしれませんね。
11月19日午後に池袋の芸術劇場で30周年のコンサートがありますので
よろしければぜひお越しください。
posted by studiofourmailmagazine at 19:33| Comment(0) | 日記

2023年02月19日

私の初体験 〜ピザ

「新世代」というタイトルで書き始めましたが、
私が初めて体験したときの感想を書くという趣旨なので
ちょっと違うなあということで変えました。

高校生二年の修学旅行で東京に行った時、
自由時間に東京在住の兄がピザ屋さんに連れていってくれました。
六本木のニコラスです。
広いオシャレな店内に、これまで見たことないピザという食べ物。
あんまり味の記憶はないがたぶん美味しかったんだと思う。
ジンジャーエールを初めて飲んだのもこの時。
とにかく福岡では見たこともないようなお店で、ひたすらすごか〜と思ってました。
飯倉交差点の近くで、高速道路が頭上を走ってて、
信号機にかかっている「飯倉」という表示を見た時
福岡にも飯倉があるけど全然違うなあと思ったことははっきり覚えています。
ほんとにつまんないことばかりよく覚えているものですね。

ところで六本木のニコラスはもう閉店したそうです。
やってるうちに一度再訪してみたかったが
この話を書くまでほとんど思い出したことがなかったから仕方ないか。
ニコラス自体は新橋にあるみたいなので今度行ってみようかしら。

なお、あの時の修学旅行は国語の先生の主導で、
島崎藤村の舞台を訪ねてという企画でメインは馬籠、妻籠。
ひたすらつまんなかったです。
覚えているのはニコラスのピザだけ。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年02月12日

新世代 〜その5 フランスパン

私には4つ上の姉がいて、高校はバス通学でした。
そのバス停の前にパン屋ができたと買ってきてくれたのがフランスパン。
当時ベーカリー、つまり焼き立てパンを売る専門店などなかった時代、
小学校6年か中学1年のころだと思います。
生まれて初めて食べたフランスパンは硬かった。
中身のフワフワした所は美味しいと思ったが、
姉は外のカリカリした所が美味しいといって
さすが姉ちゃんは大人だなあと思った記憶があります。

そのパン屋の名は「スベンスカ」
1969年創業ということなので、ほんとに創業すぐだったんですね。
そこはカフェもやっていて、これも姉に連れてってもらって
ホットチョコレートなるものを飲ませてもらいました。
あれ?ココア?でも濃厚で家で飲むココアとは全く違うなあというのが思い出。
当時の場所にはもうありませんが、スベンスカは今でも福岡の街にあります。

調べてみてわかったのが、創業したのは何と千鳥饅頭の千鳥屋だった!
東京各地にある手土産用和菓子屋「千鳥屋」ですが発祥は福岡で、
創業者の息子4人がそれぞれ頑張って東京や大阪に進出したり、
パンのスベンスカや洋菓子の「エルベ」(これも福岡では有名)を創業したり
大発展した模様です。
ただ、遺産相続で裁判沙汰になったり、スベンスカが独立したり、
東京店は経営に失敗して人手に渡ったりと色々と大変な模様。
やはり事業というものは大変なんですね。

ちなみに、今では私もフランスパンのカリカリの外側が大好きです。
やっと大人になりました。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年02月05日

新世代 〜その4 家電

小学校2年の時に新築の家に引っ越しし、それ以後家電が続々やってきました。
一度に来たわけではないと思うが、色々なものが初めての体験です。
洗濯機は単に攪拌するだけのもので、絞るためのローラーが横についてました。
掃除機が来た時は姉と一緒に折り鶴を吸い込ませて、
ゴミの袋の所に吸い込まれているのを見て、すごいとはしゃいでました。
「アイスクリーム製造機」が来たのは冷蔵庫と同時だったか後だったか、
スイッチを入れるとボウルの中の羽がゆっくり回るしかけで
半日ほどで美味しいアイスクリームになるという話だったが、
当時、1ドアで上部に製氷コーナーがあるというだけのものだったので
(しかもコードが冷蔵庫の外に出ていたので)
いつまでたっても固まらないでスムージーの出来そこないみたいで
1、2回使っただけでお蔵入りだったなあ。

家の近所の電気屋さんと馴染みになって、なんでもかんでもバンバン買ってたようで、
「家の鍵を渡してあるから、いない間に持ってきて取り付けてもらえる。」
と、今では考えられないようなことをやってました。
これでわかるように、母親はかなり浪費家だったように思う。
浪費家というか、景気がよくなって、特に建築業なので一気にお金が入り出して
入ったから使えるじゃん、みたいな感覚だったと思います。

そげんことばしよるけん10年で破産ばなったったい、かーちゃん!
戦後すぐ18で結婚してすぐ子供ができて子育てばっかりだったから、
世の中の事も経済のことも全く知らなかったんでしょうけどねえ。
60年前に戻って、母親にしっかり貯金しとけと言ってやりたいです。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年01月29日

新世代 〜その3 鉄筋コンクリートの家

私が小学2年の時、父が家を建てて木造二間の借家から引っ越ししました。
設計士だったので気合入って何と鉄筋コンクリートですよ。
今から60年前の福岡の郊外、原っぱの中にポツポツと家が建ち始めている、
その中に忽然と現れた鉄筋コンクリートの家、しかも何とT字型。
1階に玄関と階段、階段の下に風呂場、踊り場にトイレ、
2階は階段上がった左右に台所やらリビングやら個室やら。
つまりは、毎回必ず階段を昇降しなければならない。
これがアパートの2階だったら、上がりっぱなしで用が済むが、
トイレや風呂のたびですよ。
しかも60年前の鉄筋コンクリートって質が悪く、
梅雨のたびに壁中結露し、黒カビ生えて押し入れなど使い物にならない。
とーちゃん、いったい何考えてんだ!
母親が激怒したことは言うまでもない。(ということを大人になって聞いた)
でも珍しかったので近所では有名で、友達に説明するのは楽でした。
その後会社がうまくいかなくなって、家を売ってアパートに越したんですが
しばらくして元の家を見に行ったら、T字の左右の開いている所に壁が作られてて
普通の箱型の家になってました。

さて最初の引っ越しにあたっては転校したんですが、
その時クラスのみんなに鉛筆1本ずつ配ったのを覚えています。
あの当時は年度途中で転校すると記念品を配る風習があったんですね。
ほんとに些細なことで時代の変化を感じます。
posted by studiofourmailmagazine at 19:26| Comment(0) | 日記

2023年01月22日

新世代 その2 〜我が家に初めて来た家電

私が生まれたのは昭和30年(1955年)の福岡市です。
終戦直前福岡市は米軍の大規模な空襲を受け、中心部は壊滅状態、
それから10年、少しずつ復興しているという時代です。
道路はデコボコ、トイレはボットン、遊び場は空き地。
家は二間の借家で、電話や冷蔵庫などの家電などはもちろん全くない。
これは普通の家はみなそうでした。
電話は近所の「おきゅうと屋さん」に取り次いでもらって、
テレビは時々近所の裕福な家に友達と見にいってました。
そこで「ナショナルキッド」を見た記憶があります。

父親は復員後、設計事務所を開業しビルの設計などをやっていました。
景気が回復し始めて建築需要は多かったそうです。
なにせ焼け野が原でしたからね。
そして電気屋さんのビルを設計した時、何でも好きな家電を一つあげると言われ
父が貰ってきたものは、何とステレオですよ。
白黒テレビ、電気洗濯機、電気冷蔵庫が三種の神器と呼ばれていた頃
ウチはそのいずれもなかったのに、ステレオって。。
とーちゃん、いったい何考えてんだ!
母親が激怒したことは言うまでもない。(ということを大人になって聞いた)
でもそれで父はずっとベートーベンの交響曲を聞いていて
それが今の私のベートーベン好き、交響曲好きにつながり
オーケストラに入ってコントラバスを弾いているわけで
何がどうつながるかは神のみぞ知る、ですね。
そのステレオはラジオも聴けて、橋幸夫の「舞子はん」がよくかかってて、
なんで「さん」じゃなくて「はん」なの?と母に尋ねたたのを覚えています。
こういう細かいつまんないことをよく覚えているものですね。

ちなみに4つ年上の夫はここ巣鴨で生まれ育ったのですが
最初から道路は舗装でトイレは水洗、空き地などなく遊び場は公園だったそうで、
さすが東京だなあと感心しました。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年01月15日

新世代 その1

去年、沼ハマの取材があったので、初めて番組を見てみました。
好きなものにハマって夢中になった若者を追いかけるという番組なんだが
いやあいろいろスゴイです、今の若者。
Z世代というらしいが、デジタルネイティブ、つまり
生まれた時からパソコンやスマホがあってそれが普通の存在、
その上の世代のように苦手意識など全くない、というもの。
そのうえ好きな事に熱中できる環境がある、
昔みたいにそんなものばっかりやってないで勉強しなさいという親は少ないみたい。
(いないわけじゃないとは思うが)

しかし考えてみたら昭和30年(1955年)生まれの私だって、
親は大正とか昭和初期の生まれで、その頃は九州には鉄道もなかったし、
私の子供のころは家に電話はなく、近所の商店で時々呼び出してもらったりしてました。
テレビも近所のうちに見にいった記憶があります。
電話、家電などは、私の子供の頃には普通の家にはないものだったんです。
その後車や高速道路、新幹線、パソコンなどが当たり前の世界になってきた。
私の親の世代からしたら、私だって十分新世代なんだと思います。

なので私は、生まれて初めて体験した、という記憶が色々とあるのです。
来週からそれを少しずつ書いていきたいと思います。
掃除機、テレビ、洗濯機、冷蔵庫、フランスパン、ピザ、ジンジャーエール、等
たぶん今のZ世代よりも変化は大きいかもしれません。
生まれたのは「もはや戦後ではない」という頃、
高度成長、オイルショック等色々な時代の変化を体験してきました。
もうそろそろ記憶もあやしくなっているので備忘録にしたいと思います。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2023年01月08日

左右問題、その後

新年のあいさつも今更な時期ですが、早々にメルマガ配信停止予告で申し訳ありません。
10月一杯まではこの形でやっていきますのでよろしくお願いいたします。

さて年末、夫や友人と飲んだ時、エスカレーターの左右問題の話題になりました。
私は利き手の右手でベルトに捕まったほうが安心ということで関西派を支持したが、
他の関東人は「利き手で荷物を持っているから捕まるのは反対の手」
「利き手はむしろとっさの時のために空けておきたい」
など、左手で捕まる方が合理的という主張を譲らない。
いや絶対慣れてるからだけでしょ、と思うものの、慣れというのは侮れない。
エスカレーターの片側を無意味に空けるのはもうたいがいにしてほしい、とか、
マスクもそろそろいいんじゃね?とか、言うだけなら簡単ですけどね。

ちなみに私は4回ワクチン打って2回感染しました。
完璧です!
知らんけど。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記

2022年12月25日

ご近所情報 ときわ食堂

巣鴨で行列といえば、やはりここが一番でしょう。
地蔵通り商店街で独り勝ちと言って過言ではありません。
巣鴨に3店舗ありますが、いずれも昼食時、夕食時には行列です。

浅草で隆盛を誇っていた料亭「常盤華壇」の食堂部門「ときわ食堂総本店」の
第5支店として墨田区業平に牧権(まきごん)という人が創業したのが始まり。
戦後浅草に店を移し、二代目の時独立支援制度を拡充させた結果、
巣鴨を始め、十条、谷中、馬喰町など18店にもなりました。
これは支店というよりのれん分けで、それぞれが独立した店舗なので、
ファミレスと異なり、店ごとにメニューや味付け、値段が異なっています。

そして一大発展したのが巣鴨店。
その第一号がスタジオのすぐ近くの庚申塚店。
本店は地蔵通りの店舗になっていますが、社名は「株式会社こうしんづか」です。
他に店は駅前店、大塚店、駒込店、大山店と計6店舗。
なお、これらはのれん分けではなく巣鴨ときわ食堂の支店なので
メニューや値段は同じです。

大きなエビフライやアジフライが名物ですが、
ここのすごいのは「ミニ盛り」が実に充実していること。
マグロ刺し4カン330円、唐揚げ2個200円、トマト半分200円、冷ややっこ120円、等々。
そして酒が安い。
ビール大瓶で450円、日本酒大(たぶん2合くらい)480円、他もだいたい400円台。
するとどうなるかというと、昼飲みどころか朝から一人で飲むオッサンのたまり場に。
朝11時くらいにはすでにあちこちのテーブルの上に日本酒やチューハイが。
この11時という時間はいったい午前なのか午後なのかクラクラしてしまいます。

年末は29日16時まで、年始は1月3日で本店は9時から、他店舗は10時からです。
3日、4日の四の日昼席の前後にちょうどいいですね。
たぶんすごく並んでいると思いますが。
なお、ときわ食堂総本店からの支店でつくる「東京ときわ会」というのがあるそうです。
昔ながらの日本の商店という感じでなんだかとてもいいですね。
posted by studiofourmailmagazine at 00:00| Comment(0) | 日記