2023年05月28日

私の初体験 〜作詩

先週、作曲について書きましたが、作詩も実は同時、
つまり小学校6年の授業の一環で作詞作曲をしたわけです。
そこで作詞に目覚めた、わけでは全くなく、
その後ロックにのぼせジャズにいそしんで、40過ぎて曲を作り始めても
それを歌にするという意識は全くなかったのです。

今から10年以上前、もしかしたらもう20年くらいたってるかもですが、
いろんなつてを頼って、バンドで東北へライブツアーに行きました。
久慈の木工ギャラリーで演奏した時のこと、
何曲かオリジナルをジャズのスタンダードに混ぜて演奏したら
聴きに来ていた久慈在住の詩人に、自分の詩に曲を付けて欲しいと頼まれ
一冊の詩集を渡されました。
いやあ、詩に曲を付けるとかやったことないんですけどと思いつつ
パラパラ読んでみると一つの詩が目に留まりました。
その詩を繰り返し読んでいくうち、鼻歌のようにメロディーが出てきたんです。

夏目漱石の夢十夜という小説に、明治時代に運慶が現れ、
大きな丸太から何の迷いもなく仁王像を彫り上げているのに感心していたら
「あれは作り出しているのではなく、埋まっているのを掘り出しているのだ。」
とそばにいた男に言われるという話があります。
この運慶ほどたいそうなものではないけど、作詩作曲というより
そこにあるべきものを見つけただけと思っています。
その後、私の作る曲にはほとんど自分の歌詞をつけるようになりました。
そうこうしているうち、既存の曲にも自分の歌詞をつけるようになりました。
ただし私は歌手じゃないので歌う人がいなくて演奏だけです。
そのうち歌ってみたいなあと思っているうち10数年たってしまいましたが
実は今、大阪で機会をみつけて歌っています。
東京でお披露目する時はぜひ聞きに来てください。
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2023年05月21日

私の初体験 〜作曲

私が初めて作曲したのは小学校6年生の時です。
担任が音楽好きで、童謡、唱歌、外国の民謡などなど
いろんな歌を教えてくれてみんなで歌っていました。
その一環で「クラスの歌を作ろう」という授業がありました。
なので私に限らず当時の6年1組全員、あの時が初めての作曲です。
とはいえ作曲法を習ったわけでもなく、
それまでずっと歌ってきたような感じで
歌詞を書いてみてそれを鼻歌で歌ってみる、という感じ。
でも先生始めクラスのみんなに絶賛されました。
それで作曲に目覚めた、というわけでもなく、
中学、高校でロックにはまり、大学でジャズを始めてから
全く作曲とは縁のない音楽生活でした。

それが40過ぎたある日、夢の中で誰かがアルトサックスを吹いていて、
そのメロディーが印象に残っていたので、目覚めた後楽譜を書きおこしたんです。
もしかしたら寝てる間にラジオかなんかで流れてきた曲なのかなあと思ったが
全くそんな気配はナシ。
あ、これは私の中から出てきた曲なんだ、と思ったら、
つまり私の中には曲があるんだと自覚したら
なんとその後次々に曲が出てきて30曲以上にはなったかな。
駄作もあるので、ちゃんと使えるのは10数曲ですが。

曲が降臨する前の10年くらい、ずっと曲の分析をしてました。
ジャズのスタンダードなどを演奏し続けているうち
好きな曲とそうでもない曲がはっきり認識されてきて
なぜ好き嫌いが生まれるのか、自分がどこに感動するのか知りたくなったんです。
やりたい曲のメロディーやコードを聴きとって譜面に書き起こしたりもしました。
そういうことが蓄積されて、醸造され発酵されたんだと思います。
思えば小学校の作曲も、その前にずっと歌って曲が蓄積されてましたし。

何かが創造されるというのは、
それまで長い時間蓄積されたものがあるからじゃないかと思います。
人生というのは、どんな形であれそれぞれの蓄積なので
誰にでもそこから生まれてくるものがあると思います。
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2023年05月14日

私の初体験 〜じんましん

初めてじんましんを発症したのは、忘れもしない中学三年の2月、
高校受験を目前に控えた時期でした。
ほとんど風邪をひいたことがなかったが、その時は高熱が出て
病院で風邪薬を処方してもらい、その翌日くらいだったと思います。
体中赤いポチポチがびっしり、ひたすらかゆい。
こんなこと初めてだったし、その時は原因もわからず治るかもわからず、
何か人生に絶望してしまった一瞬でしたよ。
体中赤い発疹で、見るとゾッとして一層かゆくなるのになぜか見てしまうのよね。
そのたびにゾッとして、そのたびに絶望するという最悪な日々でした。
病院からは抗アレルギーの薬などもらって一週間ほどでおさまったが
その後も数年に一度その繰り返し。
もうそのうち高熱出ても病院に行かなくなりましたよ。
氷で頭冷やしてバッファリン飲んでじっと寝てる。
市販の風邪薬は大丈夫だったんです。
昔は薬を病院で調合して薬包にして渡されていたので
何が原因なのか全くわからなかったんですね。
食べ物では出たことはなかったが、アレルギー体質なんだと思います。

さて2年前の11月、いちょうの実がいっぱい落ちてたので
喜んで拾い、洗って種を取り出しぎんなん作りをしたんです。
(ぎんなん大好きなので)
実がかぶれるのは知っていたのでちゃんとゴム手袋してたんだが
粗忽な性格でぬかりがあって、実を洗った水にちょっと触れてしまったのね。
そしたら3日後にものすごい発疹!ものすごいかゆみ!
ただ、その頃はちょうど膝の骨折で入院中。
手術後麻酔が切れてた間は術後の痛みの方が大きく、かゆみは全く感じなかった。
翌日から痛み止めを服用し痛みは無くなったら、かゆみがもう半端ない!

この時の経験から言えることは、痛みとかゆみは同時には存在しない。
そしてかゆみより痛みの方が強いということ。
かゆみはほんとに我慢できないが、痛い方がもっと強い。
かゆくてかきむしるということは痛みを与えて打ち消していたんですね。
痛みというのはそれほど強い物かと思います。
DVなど痛い目にあわされて思考力判断力が低下していくのは、さもありなんと思います。
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2023年05月07日

私の初体験 〜文楽

初めて文楽を観たのは20年近く前、志の輔師匠の会でした。
その時は八百屋お七の話と猫忠をやったと思います。
猫忠は普通に落語をやってて、猫の告白の時突然文楽になって
兄妹の猫が舞台を駆け回り志の輔師匠が浄瑠璃調で
猫の告白を語りだす、という趣向でした。
それを観てハマった、というわけでもなく、
2年販前に大阪に行きだした時、そこがたまたま文楽劇場の近くで、
そんなに高くないしいつでも空いてるのでちょっと行ってみようか
と思っただけなんです。

大阪で一番最初に観たのが「源平布引滝」(げんぺいぬのびきのたき)
振袖のまま琵琶湖に飛び込んで泳いで船を追いかけるとか、
あり得へん〜〜と思いつつも人形の動きや浄瑠璃の語りに引き込まれて、
今じゃすっかり文楽にハマってます。
(ちなみに琵琶湖は淡水なので海水のように体が浮かず泳ぐと危険なんです)

歌舞伎と共通する話もあり、落語のネタ元もあって色々楽しめます。
先ほどの猫忠の元になった義経千本桜とか忠臣蔵とか
落語を知ってたからこそより楽しめるというのもあり。
蘆屋道満大内鑑(あしやどうまんおおうちかがみ)という話は
殺されかかった狐を助けた男のもとに女に化けた狐が現れ
夫婦になって子供を授かるが(その子は長じて安倍晴明となる)
正体がばれてもうここにはいられないと句を書き残して去っていく。
その句がこれなんですが
恋しくば尋ね来て見よ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉
落語の安兵衛狐、上方のオチがこれなんですよ!
大阪では文楽が文化として浸透してるんだなあと思いました。

だけど大阪で知り合った友達はほとんど観たことないと言ってましたけど。。
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